[野椎神(のづちのかみ) 鹿屋野比売神(かやのひめのかみ) 萱野媛命(かやのひめのみこと) 草祖草野姫(くさのおやかやのひめ) 草祖(くさのおや)]
野の神(山裾〜里山・山里周辺までの草地すべて。山/険しい山岳地帯と原/人里離れた荒野は別管轄)
草の神(後付け) 漬物の祖神 タバコの神
ご利益
家屋守護 農業守護 紙業守護 染物業守護 漬物 タバコ栽培
萱(茅)の生命力の象徴 草の始祖
野の草全般、おもに人に恵みを与える「穂のある食物ではない植物」を司る。
神使は牛信仰 野草を食む=くさ腫瘍を食むで病気平癒の御利益(かなり時代が下った後付け設定)
自然エネルギーそのものの神格は当然蛇神・龍神系 偏在・再生
本来は人格神でない自然の化身。概念としては巨大なサンドワーム状(円口類)に近い印象。
厚く何重もの茅の輪状に葉と茎が絡み連なった群れで形成された大蛇の姿。
群体のため巨大な目は確認できず、巨大な口とすべてを飲み込む底なしの洞窟を思わす体内が特徴。
硬く鋭い牙はないが全体が強靱で硬くヤスリ状に磨り潰し抉り切り飲み込む。
野槌(ノツチ)=野津霊。偏在するすべての野の草(おもに茅萱・ススキ・葦等)の木霊的な集合知性体。
狭義の妖怪的な「野槌」は分霊であり半自律した観測端末、本来の意味では付き従う眷属ではない。
茅の輪を連ねたようなワーム、草でできた口だけの蛇状の巨大な精霊。
野槌すべてを制御しているわけではなく野放しなので固体によってはたまに悪さもする。神名を唱え嘆願すれば確認して問題があるようなら指示が出され退散する。逆に自業自得の状況と判断されたら放置される。
◇信仰の始まりと「神」の変遷
・「神」の起源は推定で紀元前6千〜5千年前の縄文前期。
人格神ではない原始の信仰。自然界すべての畏怖すべき事象・恩恵を漠然と超越した存在として敬う概念の最初期古代神。
「神々」の概念はなく「唯一神」でもない、ただ自然のすべてを包括した「世界そのものを司る森羅万象」が「神」。
この世のすべてもあらゆる事象も「神」の力と巡る事象そのものであり、自然の万物、生けとし生けるものも神から産まれた一部。
人間は自然界=神の一部であり、大いなる存在の循環の一部。
ゆえに神と人との境界は薄く、世界そのものでありあらゆる存在すべては等しく神の一部であり、個人もその身に宿る命と魂は神の一部である。正禅の一部として産まれ、生き、死に、再び神へと還り産まれ来る。
すべては自然のまま大いなる何かに産み出され生きていく循環の中にあり、輪廻転生・成仏・神人合一・仙人などは衰退した後世にその原点へ回帰しようとした流れでありそれらですら劣化した思想。
ゆえに「神の時代」であり、神話も宗教もなくすべてを超越し「悟りを開いた」状態がありのまま自然だった時代。
6千〜7千年前、鬼界カルデラの噴火により当時文化の中心だった九州の八割近い面積が壊滅。
四国近畿近くまで火山灰が数十cm堆積し千年に渡り定住困難になる甚大な被害を与える。また日光遮断の局所寒冷化も広がった。
それ以前栄えていた九州文明がほぼリセットされ、生存者や離れた地域は元寄りの文化は残るもこれ以前の信仰形態や祀っていた部族の大半が絶える。火山への恐れから文化・人口の中心地が寒冷であろうと降灰被害のなかった東北へと移動した。
これより前の伝承は辿りようもなく口伝すら散逸、超越的な自然の化身たる神々の概念と概要以外の詳細が不明に。
原始的な宗教観から「個」ではない自然存在総体を指す「神」は「天災」としか呼べない絶望的な災害を目にし、次第に別の何か、人と同じではない超越した力を持つ圧倒的な存在としての認識へ変わり始めていく。
・紀元前5千〜4千年前の縄文中期。
「神々」の概念が生まれはじめ、自然の猛威の事象存在が「神」として認識される。
まだ漠然とした神、畏れ多く圧倒的な存在が気まぐれに恵みを与えくれ敬い荒ぶらないよう祀り願うという対象。
神=人ではなく、人を産み出した大いなる何か、人の力の及ばぬ所にある自然界の力ある森羅万象を司るもの。
それらを力を幻視し見出した場、おもに人の手で造り出せない巨石をそれらの力が湧き出す神聖な「場」として「磐座」を祀る信仰形態の原型が始まる。
神とは人ではない、大地や空・世界そのものに満ち偏在し人と繋がってはいてもうかがい知れない力を時として振るい恵みを与える畏るべき何かであり、その力あるものを敬い祀る祭祀場としての神の座。
記録が皆無のため推測の域を出ないも、自然そのものに誰しも感じる畏敬と祈りの概念は脈々と数千年受け継がれた。
・紀元前4千〜3千年前の縄文後期/弥生文化混在期。
大陸から、「血に連なる神・祖霊」が神なる大地へ還るでなく、独立した神として祀る概念が流入。
ローカライズされた現在の「神々」の原型。概念としては「神産み」の時代。
住まう世界を滅ぼすほど理不尽な強大さではないが、身近で見守る存在、願いを聞き届け加護を与えてくれるという時に畏れつつ期待と敬意を払う身近であり人から見て格上の霊的な存在。
「神」という「一にして全」の存在は認識されてはいても、それらはただそこにあ在り、祈ろうがどうにもならない「世界・自然界」である。
当時の人々は、そこから個別の事象の力を司る超自然的な存在が産み出され人々に力を与え、時に荒ぶり見守っていると考えた。
まずは大地、空と空間の天、それらを取り囲み果ての知れぬ海。それらを司る神々として。
何を司っているかも理解できない大いなるそれらから、さらに別かたれた「理解できる事象・存在を司る神」として「○○の精霊・神」という認識が生まれ、本来はすべてを内包していた「神」はすべてに宿る分化した神と認識され、後に八百万の神々と呼ばれる概念となる。
※この時代にようやく「野ツ精霊」が、広大な山裾と野原の草原すべてを司る神として定義される。
細分化される以前の原始の世代であり、今に伝わる「神」の印象より偉大な力ある何か、漫然と「野」が包括された神。
原始生活で海原のように遠く見える山々まで続く草原の広大さ(遮る人工物はまだ存在しない)。過酷な自然と死がすぐ隣にある日々で、衣と住に関する素材を無限に生やし与えてくれる「草」という夥しい命の群れに当時の人々も神性を見出した。
・紀元前2300年前〜紀元300年あたり・便宜上の弥生時代。
多種多様な神が想像され、「野の神」も分割した権能が認識されることにより「山の原生林以外の野原と植物すべて」から、穀物を司る神、花を司る神、畑を司る神、開墾した平地を守る神、道を守る神、村を守る祖霊などそれぞれの神へ権能として委譲。
※「ノツチ」の発音のとおり本来司る「野」の領域が人の手により狭まり定義される。
原初の草原に隠れ獲物を探し生活の道具を造り流浪した時代が終わり、次第に「集落の外から山裾の領域・そこを埋め尽くす植物すべてを司る神」とされる。
それに伴い恐るべき存在というイメージはなりを潜め、次第に他の持ち上げられる祖霊・同一視された神の知名度から下に見られていく。
野の神は人の住まう領域ではなく不可侵の山々との狭間、与えはしても開墾すべき場所であり発展のため時にその青海原は障害となる。発展を阻害される領域を司る野の神を祖と信奉する氏族は少数派であり時代の趨勢で集団は歴史が記される時代の前に消え、今に残る記録では現存していない。ゆえに「草祖」であり、神を別け産み人を育んでも人は産まず、ただそこに在る。
ここまでが「野の神」として畏敬の念を集めていた原初の大神の一柱としての信仰形態。
権能で細分化される以前の古き神々はほぼすべて畏れを抱くほど広大な領域と力強い概念の化身であり、立ち上るエネルギーの揺らめきの幻視・具現化から総じて「蛇神」、後で概念が渡来し同一視される「龍神」の原型である。
◇記される歴史の始まり、草祖の姫としての信仰
・紀元300年〜700年の古墳・大和時代。
部族間の戦争や権力争いのすえ多種多様な部族神が定義・祭祀され、消滅や習合・体系に吸収。
山も拓かれ木材を採取するようになり、野の神も「崇め利益をもたらす神」として扱われ、当時から植物群の大多数を占める穂のある生命力に溢れた植物、茅萱・ススキをおもに司ると定義される。当時ただ「クサ」と呼べばこの二種と近い植物を指した。
日本神話の編纂もこの時代より。草薙剣の逸話で薙ぎ払われた「草」も当然背丈の高さに生い茂るススキを指す。
本来無性のエネルギー総体であるも、大いなる存在・産み出すものは母であり女、総じて女神であると定義される。
逆に産み出すでなく力を振るい他者を制し雄々しく荒ぶる事象・権威を示す祖霊は概ね男神とされた。
この時期に人格神としての概念が広まり、野に生え草原の海原をなす茅を名に冠する女神「草野姫」が漢字で表わされる。
古き本来の尊称ノツチを漢字発音を当てはめた表記が「野椎神」であり、時代が過ぎるうち上代より言葉の発音が変化し訛ったものが「ノヅチ」。それらを束ねる総体であるから「のつちのかみ」。
さらに時代が下り漢字表記を当時から今も残る発音に合わせたものが「野槌」。こちらは一般的には眷属・神使に含まれる群体個々のほうを指すことが多い。
詳細が不明となり仏教の広まりで貶められ江戸期には妖怪とまで言われる始末。
それらは本来どこにでも生えている「草」たちの霊として偏在する希薄な分霊であり、重なる草の輪として蛇体を成す茅萱やススキの草むらの化身として幻視される。分身ではなく細胞や兆単位を超す総数のうちの断片が近い。
けしてツチノコではなく草の青海原に隠れて伸びる大蛇と幻視されたはずの存在が、先端部分の頭部と巨大な口のイメージだけが残り、短い四肢のない体躯・巨大な口の蛇のような化生というイメージで本来の姫とは別の存在がおそらく仏教普及期以降・多くは戦国/江戸期にその名で広がった。
生物の蛇が獲物を呑んだ状態や吸血し肥大化した蛭、急に野生動物に襲われ誤認した経験談を混同した可能性も高い。
カヤノヒメの表記は表意的には「茅の姫」表記が正しい。草花の神々の源流・祖であり、「草」をカヤと読ませ、接続詞の「ノ」・野の神の「野」を敬意と遊び心を込め二重に意味合いを持たせた表現した識者はおそらく姫を祀る巫女かそれに類する語り部と思われる。
故に敬意を払い御名を称える漢字表記をするならば「草野姫」が実情に即し雅で最もふさわしい。
・古事記では「草の祖、草野姫・またの名を野槌」この時点でも当時の発音なら読みはノツチ。
編纂された神産みですら事象の概念に続き、原始の世界にあったもの(神)は海と川・波など水関連、続き陸は「山・木・野(草)・風」というシンプルな世界。
前述の考察に参照すると、記紀の神話表現もナミ・ナギ二神が登場する以前の古く偉大な神々がその後登場することもなく、天土の権能を委譲され神々を増やし人に関わっていくのはあながち当時の想像でなく、伝えられていた断片から当時持ちうる知識で表現した結果であり「神話成立以前の神の時代」にまつわる歴史と変遷としては概ね史実の流れを元にしていると思われる。
噴火で焼き払われ火山灰が積もり茅やススキの類いしか生育できない白い大地(人間はその周辺地域しか農耕もできず狩りの獲物すらなく水源もなく住めない)、遠くにそびえ時折噴煙を上げ人が足を踏み入れるべきではない過酷な岩肌の山地、それすら耐えきり再び芽吹く巨木と伸びゆく若木、そしてそんな光景をただ吹きすさぶ荒々しい風…とそれらが縄文後期の北端沿海部を除く九州原風景だったのでは。
古事記では志那都比古(長男/風神)・久久能智(木神/長女・その嫁) 草野姫(草の神/三女)・大山津見(山の神/次女の夫) の四兄弟神扱い。
ただし成立期の創作であり、古代縄文由来の神々で成り立ちは似てこそいても同期以上の関係性は本来ない。草木だけは当然類縁で近しい存在と思われる。「神」から世代を経るごとに分化した経緯を考えれば兄弟神であり、些細な事象から新たな神が独立した権能を司る存在として別け産み出されていくのも文化的には当時以前の実情を表現している。
山の神は女神とされ、神話初の百合・両性の関係ではあるも、そもそも各地の有力神を体系に取り入れて強引にまとめただけなので実際は神話成立より古いうえ述縄文からの各地で崇められた神格であり神話の整合性事情でしか結ばれる理由もない。
そのため記紀でメジャーになった大山祇神社以外の兄弟神は祀る神社こそかろうじて残れど総本社現存せず・発祥地も不祥。数千年前に起源となった地域ごと滅び漢字で記録される以前に本流どころか詳しく知る者も途絶えたと思われる。
信仰の変遷で妥協しているなら人格神としてはそういった関係性で1600年以上認知されているなら同期で近しい存在と家族的な関係を楽しみ受け入れている古代神も多いと思われる。
・記紀で活躍している神々ほど朝廷が喧伝したかった「偉人」であり、軽く触れた程度で流されたり神話の時代と過去の存在扱いにされているものが信仰する部族が戦争で敗北した本来の土着の神々。
「国津神」とはよく言ったもので、本来国に根ざしていた神々とそれを崇めていた部族を侵略者が征服・融和し組み込んでいった結果を反映したのが記紀。古今東西勝利者が敗北者の神を貶め配下・征伐される悪神として組み込事例は無数に存在する。
大地に根ざしそのエネルギーに由来する事象の「蛇神」を崇める縄文由来の国々と、大陸からの部族と融和し力に依存しない哲学的な創作概念の「天」とそこに輝く太陽・空を舞う金の「鳥」を幻視し祖霊として「天津神」を祀る朝廷部族。
その抗争の果てに勝者が命じ編纂した記録であり、朝廷の権威を知らしめ有力部族を傘下にしたと喧伝する内容を盛り込んだ歴史書。
なお「姫(ヒメ)」は媛や比売など表記ぶれでそれぞれ表音を漢字に当てられるも、本来は「女族長・女王」の尊称。
朝廷がほぼ平定して以降は占領地域では廃位されたため形骸化し高貴な女性の尊称と化した。
比彌(ヒミ)はおそらく朝廷の元部族(太陽神信仰)の訛っていた方言発音。日女でその国で王族に従属する貴女がヒミだったと思われる。対の「彦」は当然日子で貴公子・王子のようなニュアンス。
卑弥呼はおそらく後に朝廷に吸収された大国の女首長で現用表記にすれば姫子、つまり血筋的にも直系の女王陛下に相当する呼び名であっておそらく個人の名ではない。
家臣が姫殿下!的に呼んでいるのを大陸人が誤解し、名は当時の常で呪術防御で明かさなかったためその表音で魏志倭人伝に書かれたものと推測される。なおヒメの発音の側がおそらく現在では発音困難な上代より古い発声で訛っていたと思われる。神名の表記がぶれているのも元々部族が分かれていたため江戸期以前の方言以上に差異があったためと、すり合わせがなかったため個々にふさわしいと思う漢字を当てたためと思われる。
その後野・山カップルで神を生みすぎたせいで後年聞きかじり風評で妖怪を生む扱いされる始末。草原や野原で発生したり採掘されるものを全部由来にされても確かに野のものであっても直接生んだわけではない。
そもそも「持ち別け」なので和合して生んだわけではなく、それぞれの司る事象の一部を被らないよう相談しつつ分離独立させた分業専門の神格を生み出したという表現がおそらく正しい。
なお皇祖の求婚話で有名な桜の女神・木花之佐久夜毘売と石の女神・石長比売の姉妹も娘。桜は木であって…旦那様もしやククノチ様と…? 確かにそのエピソードでは父親しか古事記には記載されてない。そのせいで私見で宝塚系王子様(女)のイメージが抜けない。
・他の表記の鹿屋野比売はおそらく現在も続く「カノヤの姫」であり、族長もしくは代表する巫女であった証。
後年史料から編纂されたらしい先代旧事本紀(推定八世紀)のみ「鹿屋野比売神」で、おそらく発音の繋がりで勧請したか、逆にどこでも鹿はいたろうしその文字が後年の当て字で草野姫を祀る一族が定住しその周辺を守護する主祭神として別け御霊の表現として表記した・死後巫女も化身であり還ったとして祀った可能性あり。
その時代には既に遠い昔に本来古代神が祀られていた地域の文化圏はすべて噴火の災害で一度壊滅、残滓が口伝で伝わる程度でしかなかったと思われる。
安定し九州全域が復興した時代に建立され、火山灰でも地平線まで埋め尽くす草原の生命力と火山灰以外何もなくなった大地からの復興に使われる恵みへの感謝から祀り肖って地名を名付け、おそらく海運で便利だった現在の鹿屋(鹿児島県大隈半島)周辺で集落が造られ各所に分祀で広がったと推察される。
特に鹿児島南部は直接火砕流が到達し文字通り「絶滅」した地域。九州南部はそのすべてが白く埋め尽くされ滅んだ、かつて栄えた文化の跡地まっただ中。桜島を神の座に見立て火の神を祀った氏族の中心もこの周辺だったと思われる。
まだ農耕にも適さず危険が伝えられる地域へあえて戻ったのは噴火時に影響圏より遠くに移住しており生き延びた火の部族の末裔、それが後の隼人集団それぞれの祖先だったとすると整合性がとれている。
遅くとも平安初期には既に「かのや」で記載が確認されている。その後「鹿屋」表記が登場したのは当時「草」は「クサ」読みが朝廷部族の影響で広がっており、特に鹿云々関係なく「クサノ」でなく「カヤノ」で文字を当てるとこうなったという単純な理由の可能性すらある。
なお当該地域は7世紀あたりまで熊襲こと阿多・大隅隼人(南方由来の縄文先住系)が自治を維持した拠点のひとつでもある。
噴火の記憶が残るなかで桜島の至近であることから周辺の大多数の部族はその時代でも火の神を崇めていたと思われる。
草の神も重要な神として併せ祀り敬意を払われてはいても戦が頻発する時代には直接的な活力や強さを求められ、主神としている部族はおそらく当時少なかったと思われる。
その地にて社、規模の大きくなった建造物広義の「神殿」建立時の代表であった巫女を人格神のモデルとし、後世の印象は直接知る者より伝え聞いたその人となりを元にしている。
書紀で登場するのは岩戸隠れのとき神々が相談して、場を飾る祭祀のため厳選して持ち寄らせたひとつに「五百箇野?(いほつのすすき)の八十玉籤(やそたまくし)」を採ってこさせた、という記述くらい。
字面からすると「すごく大きなススキ玉をたくさん連ねた飾り棒」。人が作り上げた工芸品でなく、野の恵みで当時は綿花もなく類い希な目立つ大きさと見た目のボリュームであったかと。今でも田舎のススキ細工の梟は喜ばれているくらいふかふか。
ただ他の神々が自慢の品を作り持ち寄っているなか、司る象徴で特産だからと国中どこにでも生えているススキで作った郷土細工を自慢げに持ってくる度胸とマイペースさ・それを普通に受け入れられているあたり茶目っ気とそれを許容されていた人柄が察せられる。
萱津神社の漬物のエピソードは現地で発生した案件の後付け。神から人の世に移り変わって以降の出来事なので関与もしていない。社殿ですら神託などと盛らず、偶然の産物に女神の思し召しと喜び広めたというだけで。なおその漬物は日本武尊絶賛「藪ニ神物」。
屋根を葺いたり民具を造る素材の豊作とそれらが長持ちし人の生活を守ってくれることを祈願したため、後にいう和魂で優しく村人の生活に寄り添い恵みをもたらす女神としての象徴。
後には山奥の樹と穀物以外は同じ草と思ったのか、伝承すら摩耗しかけても各地でそれぞれの作物の加護を願って細々と祀られ、茅葺き屋根も伝統文化の集落以外見当たらない時代では主祭神として祀る神社も数えるほどにまで減少し現在に至る。
・二千年近い動乱と急激な文化の変遷で他の神々と同様大部分の伝承が遺失するも、保守的な地方の村では初期に近い形態で祀る小さな社ほどの神社もいくつか残存。
その中には姉妹神と並び祀りはするも、豊穣を願うと同時に畏れ敬い、その生命力や広がる草原への畏怖を伝える社もかろうじて記録が現存。大半は既に地元で細々と守ってきた地域の近隣住民しかあることすら知らないような場所が多い。
村そのものがなくなり古地図上でかろうじて祀っていたと思われる文字を記録上で発見されるだけの場所すらある。
全国的には基本的に、単純に朝廷の開墾に信仰者が同行した、関連する業種の者が技術指導の派遣と同時に伝えて祀った、後年伝え聞いた村人が初期の「植物の女神」として農耕や雑草対策で祀った、大山津見神信仰のセットで祀られた、という系統に分かれると思われる。
鹿屋から離れて変質するならともかく九州と近い地域が残存神社が比較的多いことに加え、大規模な発展から外れた地域で民話や社伝でその含有数が妙に多く、おそらく元々信仰が残っていた地域で形骸だけでも原初の姿と神威の残滓を伝えていると思われる。
おそらく総本社が文化圏ごと消滅後も生存していた信仰者が、かろうじて生きてはいける地域まで少しずつ戻り本職の巫覡ではないも信仰と伝承を細々と伝えたと思われる。
そのような地域は広域で俯瞰すると分布が集中しており、民話の内容から判断すると、鹿屋の初代巫女と神話のイメージとは別に、まとまった祭祀集団が移住か豪族に庇護もしくは容認されていた。
その復興初期に別の巫女が村人に親身に力になり世話になった印象から同一視され、草野姫のイメージとして祀られ今に至ったと思われる。一カ所ではないためそれなりに趨勢があった豪族か話が伝わり地域内では祀る社が増えるほどだったと推測される。
当然名も伝わらず、巫女としての存在も吸収され神と同一として習合されたその巫女を暫定で「二代目」と呼称している。
知名度と勢力圏が便宜上の「初代」ほど認知されなかったことから後年の産まれ。自然への畏れが残っていた4世紀〜6世紀の間と思われる。それ以前ならば広まる過程で習合され周知、以降ならば文字記録で具体的に伝聞として他系統の神社や風土記に出来事程度は残っているはず。
繁栄を願いだした時代から逆行して原初の姿を祀るということは何らかそう必要される問題が発生し、祀ることで解消され周辺で分祀されるほど感謝されたという結果が成立する。
考え得る原因は異常増殖による農耕地への侵食、何度も大規模火災の発生と草原の延焼、土地の栄養不足や除草の労力も足りず抑えることを嘆願、何らかの植物に関する怪異が発生、その他草原における神頼みせざるを得ない問題が発生。
おそらくその祭祀集団は古い信仰を僅かなりと伝えており、本来は時に荒ぶる古い神であると識っていた。
そこで巫女を半ば捧げ祀らせ、荒ぶる怒りを抑え、その成果を元に周囲に支える智恵者はあれど本人の行いから信頼と信用を得て、神を祀る巫女ではなく同一視されるほどだった。
悲壮な話や生け贄の伝承が皆無なことからも古い巫として本来の役割を果たし、代弁者ではなくただ神の意とともにあり執り行い振るうものとしての役目を果たしたのだと。墓所かその舞台となった元の社すら現在では特定できないも残っていればいずれか、と絞り込める程度には色濃く村落の民話の特色として残滓が散見される。
また伝承では座敷童子に近い扱いをされた逸話も混じっており、しっかり童女と…後世と違い依童に近い役割もあるためか巫となった年齢もかなり早かった様子。長生できたかは不明もそういった伝承が残らない程度には当時基準で生き抜いた模様。単独で祖霊として祀られるほどではないという事は年経るほどは無理だったようで。
その目線で郷土資料や大学の聞き取りテープ文字起こしに民話や昔話を比類すると…医大の流れと口伝の変容で他の有名話流入や転用は多々あるも、どうやら信仰ごと薄れるまでは長年にわたり周辺地域の「草野姫神」はその神威こそ恐るるも常は朗らかな童女の女神(村の外に広がる地域一帯の守り神)として親しまれていた模様。
基本的な隠れたあとの民話では概ね座敷童子。
幸運をもたらすわけではないも、見掛けた年は集落で屋根を葺く草に困らない。無病息災が約束される。
遠くで遊ぶ子らを見守っていたり(混じったり連れて行ったりはしない)、山で迷ったとき遠くから先導し麓まで帰してくれる。
婆を医者に診せる金がない若者が困り果てていたら屋根の庇から金が降ってきて子供の笑い声がした。
旅人が迷い道行く童女に尋ねると快く教えてくれ行き着くも歓待され夜が明けるとそこは既に滅んだ村の跡だった。
迷い込んだ山で蛇の群れに囲まれ終わったと観念したら襲われもせず散ったあとに大きな山犬の骸が転がっていた。
悪さをした盗賊が草むらに排泄にいったまま二度と戻ってこなかった。様子を見に行った仲間も次々消えて村は助かった。村人は神様がお怒りになったと噂した。
山嵐に恐ろしい鳴き声が響いたら大蛇が雨を喜んでいる。雨の中見上げるほどの大蛇が通り過ぎていって頭に子供の人影があった。見た者は頭から食われるが次の朝屋根の上で目覚め助けを呼び笑いものになった。
茅萱の穂を飾っておくと流行り病を避けられる。戸口に飾っておくと悪いものが入ってこない。わらじに編み込んでおくと脚を怪我しない。茅萱を結んで身につけておくと山で迷わず帰ってこられる。
語り部の語りっぷりからも親しまれ、あまり関わろうとしないも距離感控えめで様子見は好み、気が向けば助けてくれてお茶目で神々しい扱いではないもありがたがられる不思議な少女の女神の神話というより民話。
面白おかしく混じってはいそうも総じて悪さをしなければ助けてくれるかもしれない、見守ってくれる女神様。
初代の「家屋守護 農業守護 紙業守護 染物業守護 漬物 タバコ栽培」とはほぼ無縁(野に含まれているので出来ないこともない)。
一部では眷属が牛とされて(野に放ち草を食べて育つため養っている扱い)、患部を食べてくれると瘡蓋封じ(見た目で残る患部の緩和)
と癌封じ。ただし後世に連想から追加された権能。
二代目の原始に近い荒魂寄りを祀った巫女由来の人格神が習合された面を崇めると、
共通が 「穂のある食物でない植物が繁栄する」「草を編んだ製品や茅葺き屋根が長持ちする」「穢れや災厄を食らい清める(茅の輪くぐり)」「切除が必要な出来物や癌封じ」
固有が「それらに起因する災厄を避けられる」 「強靱な干魃耐性と生命力の増進」「直接的な危害からの守護」「庇護する善良な者へのの危害は報復」「草原を汚す者にはお仕置き」「迷子封じ」
マイナーすぎる分霊面としても本来が古代縄文神なので差し引きで神威を発揮するも、目立ったり不特定多数にもてはやされるのは苦手な感じがする気風。一般的には習合されていても最盛期は全国で祀られていたであろう初代を崇めれば支障ないかと。
古来より神々はいくつもの面や化身を持つとされているので日本神話の神々は朝廷の作り上げた実在個人(当時の有力豪族の長)に由来するイメージと数々のエピソードからの印象。一部支離滅裂なのは複数人の逸話が権威付けで強引にまとめられたため。
初代からして今の時代となってはご利益目的に崇められる分野ではなく、確実にもたらしてくれる専門の権能も穀物以外となると今現在でも扱っている仕事はほとんどなく、穀物以外の植物も他に司っている神がいないならば一応管轄も太古に草原に自生していたものでないと専門で御利益覿面というほどまではいかず。
愛嬌のある女神様は後年の芸を助くウズメ様ブームまで待たねばならず、ありがたいご威光とカリスマ溢れる神が求められるなか愛すべきマスコット枠美少女神様は時代があまりに早すぎた。
…当時ですら熱烈に布教したら引かれるか笑われるであろう事は察せられるので、隠れて推していたせいで広域に広まらず時の流れに静かに薄れていったのは気風のままとはいえ必定だったのかもしれない。
・補足として「草」として司る植物には「麻」が含まれる。
戦後までは禁止されず日本中の一般的に見掛けられた有用植物であり、縄文の頃より「過酷な環境でも生育し、成長が早い。丈夫な繊維が簡単に採取でき耐久性も高い」と衣類に袋・縄等で生活に活用できる最も身近な役に立つ植物だった。
敗戦後麻薬成分の濃度が低いも徹底的に処分され現在では北海道や人の手の入らない原野で僅かに自生しているのみ。
次に文明が崩壊する規模の災害が起きた場合、毛皮となる動物すらほとんどおらず麻が自生していないと国内の人間は冬を乗り越えられず数百年で文明を継承できないほど人口が減少すると思われる。
西洋の価値観でタブー視されるも神事で使われるほど特別視される有用植物であり、石油危機からの天然繊維が見直された場合復活させるべき植物のひとつ。早急に成分含有率が低く繊維採取に特化し環境に強い品種改良を進めるべきと考える次第である。
当然茅や稲藁と並び何千年も人々の生活を支えた植物であり、栽培や加工に携わる人々も豊作を願い祈っていたはず。
戦後にも残る神事として「茅の輪くぐり」があるも起源は諸説あり不明。
ただ神話であろうと日本神話で与えられた役割、いわゆる権能は別けられており、登場した場合の作成者も素材から姫と思われる。
輪をくぐると災厄が清められ無病息災。蘇民将来とスサノオは茅の輪と特に関係ないため後年他の伝承と混ざったと思われる。
出典「備後国風土記」の成立は7世紀で3百年ほど後の編纂。
日本神話的にはスサノオが姫に尋ねて魔除けの作り方を学んで伝えたとも取れるが、丸くなる前にそんな事をする性格とも思えないので見よう見まねで守りは姫に丸投げしていたと推察できる。そも荒ぶる戦神であって人々を導き守るタイプの英雄ではない。
源流としてはおそらくこれも縄文期から由来すら忘れられた風習のひとつで、茅の輪を「野槌」の大きな口に見立て、食われることにより災いや不幸を消化され清められるという見立てがあったと思われる。
動物でなく草の集合体であり濫りに人に災いを為さず、恥ずべき行いをしていないなら安心して身を任せられるし後ろめたいことのない証しの儀礼となっていた可能性もある。
呪術的には穢れを移すことによって薄め、肩代わりしてもらうという典型的な手法。ただくぐるのでなくそっと触れて厄を擦り付けるのが正規。八の字にくぐるのはおそらく一瞬で終わってしまい特別感がなかったためいつしか広まったスタイルと思われる。
余裕があり大がかりだった時代はそれこそ輪を八枚連ね筒状に並べくぐった可能性が高い。後年は茅が活用されることが少なくなり労力的にも減らされ伝聞だけで広まったことから由来不明のまま一枚で回るようになったと思われる。
また当然のように厄を引き受けた触媒となっているので輪から引き抜いて持ち帰るのはお勧めできない。加護も神社自体と直接の関係はないものだし、素直に行われた神社の御札やお守りを授与して頂くのが望ましい。
※以上専攻時代の論文副産物の仮メモから抜粋。
神話的観点のみからの旧版で、実在人物や歴史からのフィードバックが含まれてない時代の産物。もう使うこともなくもったいないのでついでに掲載。一部は下記に引用したため重複部分あり。
既に否定された説やミス部分も含んでいるので興味のある方は国会図書館の一次資料を当たってご検証ください。
※引用転載資料
【先代旧事本紀】巻第一・陰陽本紀 - 現代語訳
伊奘諾・伊弉冉の二神は、国を生み終えられて、さらに十柱の神をお生みになった。
まず大事忍男神おおことおしおのかみをお生みになった。
次に、石土毘古神いわつちひこのかみをお生みになった。
次に、石巣比売神いわすひめのかみをお生みになった。
次に、大戸日別神おおとひわけのかみをお生みになった。
次に、天の吹上男神あめのふきかみおのかみをお生みになった。
次に、大屋比古神おおやひこのかみをお生みになった。
次に、風木津別の忍男神かざもつわけのおしおのかみをお生みになった。
次に、海神、名は大綿津見神おおわたつみのかみ[またの名を小童命わたつみのみこと]をお生みになった。
次に、水戸神みなとのかみ、名は速秋津彦神はやあきつひこのかみ[またの名を速秋田命はやあきたのみこと]をお生みになった。
次に、妹・速秋津姫神はやあきつひめのかみをお生みになった。
また、この速秋津彦・速秋津姫の二神が、河と海を分担して十柱の神をお生みになった。
まず、沫那芸神あわなぎのかみをお生みになった。
次に、泡那美神あわなみのかみをお生みになった。
次に、頬那芸神つらなぎのかみをお生みになった。
次に、頬那美神つらなみのかみをお生みになった。
次に、天の水分神あめのみくまりのかみをお生みになった。
次に、国の水分神くにのみくまりのかみをお生みになった。
次に、天の久比奢母道神あめのくひざもちのかみをお生みになった。
次に、国の久比奢母道神くにのくひざもちのかみをお生みになった。
次に、山神、名は大山津見神おおやまつみのかみ[一説には大山祇神おおやまつみのかみという]をお生みになった。
次に、野神、名は鹿屋姫神かやのひめのかみ[またの名を野推神のつちのかみという]をお生みになった。
また、この大山祇神と野稚神のつちのかみが山と野を分担して八柱の神をお生みになった。
まず、天の狭土神あめのさづちのかみをお生みになった。
次に、国の狭土神くにのさづちのかみをお生みになった。
次に、天の狭霧神あめのさぎりのかみをお生みになった。
次に、国の狭霧神くにのさぎりのかみをお生みになった。
次に、天の闇戸神あめのくらとのかみをお生みになった。
次に、国の闇戸神くにのくらとのかみをお生みになった。
次に、大戸或子神おおとまといこのかみをお生みになった。
次に、大戸或女神おおとまといめのかみをお生みになった。
また神をお生みになった。名を鳥の石楠船神とりのいわくすふねのかみという。[または天鳥船神あめのとりふねのかみという]。
また、大宜都比女神おおげつひめのかみをお生みになった。
伊奘諾尊が仰せられた。
「私が生んだ国は、ただ朝霧がかかっているが、よい薫りに満ちている」
そうして霧を吹き払われると、その息が神になった。これを風神という。
風神を名づけて級長津彦命しなつひこのみことという。
次に、級長戸辺神しなとべのかみ、
次に、飢えて力のない時にお生みになった御子を、稲倉魂命うかのみたまのみことと名づけた。
次に、草の祖をお生みになって、名づけて草姫かやのひめという[またの名を野槌のつちという]。
次に、海峡の神たちをお生みになった。速秋日命はやあきひのみことと名づけた。
次に、木の神たちをお生みになった。名づけて句々廼馳神くくのちのかみという。
次に、土の神をお生みになった。名づけて埴山姫神はにやまひめのかみという[また、埴安姫神はにやすひめのかみともいう]。
その後、ことごとくの万物をお生みになった。
※先代旧事本紀に記載された時点で既に「鹿屋姫神(野推神)」と世代を下っての「草祖草野姫(野槌)」が明らかに同一神格を指しているのに個別で明示されている。
編纂時に合一化と整理がされなかったことからも同じ根源の神の別の面。
野椎神を祀る姫巫女を人格神として別の世代の人物をモデルにしたため別記されたと思われる。
表記と地名から前者は大和朝廷で重要視された社会的に上位の人物を上位に当てた。
後者は本来の信仰としての祭祀を司る権威はあまりなかったその後の姫巫女を当てたと推測される。
故に後者が勢力関係の事情からは外れ、逆に古い原初の形態を指す文字と表記を当てられている。
まず前提で穀物神について、ざっくりとオオゲツヒメはハイヌウェレ型テンプレのアレンジというか芋主食でなかったから蚕+五穀。
トヨウケビメが五穀(被ってる)おもに稲と主神に供物担当。神話的にはオオゲツヒメが「ばらばらになった」されたあとの担当(立場上がった伊勢ご当地ローカル女神)という感じで。伊勢神道はイタコ芸の人並みにあとから話盛りすぎ。
保食神は後年720年あたり編纂の書紀から登場(米・魚・食肉獣、牛馬担当)でこちらもばらばらされて…なぜネタまで被せたというかたぶん同一神のエピソードが似た神追加するときうっすら覚えていて存在忘れていて編集ミスで…突貫作業で校正担当いなかったっぽい。
国記が残っていれば…以前に守屋の書庫焼いたの蘇我の髭野郎だし仏教推し勢力に都合悪いからとそちら焼かなければもっと詳しく朝廷成立以前までの歴史が残っていたものを。たぶん口伝から集めた縄文期以降からの流れもおおまかに記録されたいたはずなのに惜しすぎる。鎌倉武士のさらに源流なので古墳時代もだいたいの人物DQN武士ムーブというか書紀編纂時でも弟君あの描写でOK出るくらいの常識民度という…
どちらもご当地状態で推した割りには一般農民に定着せず…
ウカ様いろいろ後年習合されたり訳のわからないことになって結果大人気に。お役所的な体系抜けて民間の社長になったら合併繰り返し大企業の会長に上り詰めたという感じ。
集めた社員(霊狐)が優秀だったというか民間だから容赦なく実力行使で取り立てとギブ&テイクでめっさ御利益あるからと社数日本一というかたぶん地域密度なら世界一を記録して江戸幕府に禁止された域。それで江戸っ子が狐でなきゃいいだろと腹いせ意趣返しで置きまくったのが招き猫の始まりという説も。
ただあまりに狐が有名になりすぎてご本人(神)あのアニメでオタ向け知名度上がったくらいで江戸期以降は逆にマイナーー寄りになってた。稲荷社でお稲荷様=狐扱いという。宅配に来てくれる人黒猫とか赤フンの扱いして会社自体の社長や会長の顔や名前知らない的な…
基本的に神道系は御神名を社に名付けては社殿や施設を呼ぶとき不敬という理由で別の神社名になっているのが基本(江戸期以降の建立だと直球で付けているところもある)。元は神仏習合していた仏教系だとだいたい地名+仏の名前で判りやすさ重視が多め。
あまりに稲荷全盛時代になってほかの食物神が影薄く概ね空気になった。記紀のエピソードは知っていても神社や信徒の数は…。
現存する大規模な信仰はだいたい現世・来世利益優先でブームになったところ多め。日本人は熱しやすく冷めやすい傾向の層もいるので江戸時代には寺社詣でブーム(半分行楽兼ねて)になった当時は誰でも知っていた信仰でも昭和以降は忘れ去られマイナーになっていることも多々ある。
いっぽう花の女神といえば桜を象徴とする咲夜姫。
ちなみに神名は表記ぶれ多数も現す音が重要で、概ね統一されてないし各神社ばらばらでローカルで字面をニュアンスで変えていることも多く「だいたい通じればいい」という感じに。体系化した学問としてやってるわけではなかいから学者は困惑。そもそも尊称だから余程気難しい神でなければ不敬でないなら気にもされないというか。
ほかの花はそこまで固有になるほど人気ではなかった感じで…文化や植生的にたぶん梅の花の女神もいたはずですが梅が多い地域のローカルだったろうし国記とともに歴史の中に消えた。八百万には消えた部族や集落の祀っていた既に名や信仰どころか存在すら忘れられた無数の神々も含まれているので。
山は女神で海が男神。海は女手で漁は厳しくむくつけき男どもの世界だから司ってるの益荒男なビジュアルのおっさんやろ的な発想が民族の根幹に。求めるのは豊漁<嵐に遭わず生きて帰ることなのでマッスルパワー祈願的にも。というかぶっちゃけ母なる海そのものは原始の自然神だから本来は性別などない。祈るほうに合わせて顕現してるだけで。
山が女神というのはまあ朝廷以前の日本の神々本来は古来からの女神が大半で祭祀も巫女だし、その土地由来で元から祀られていた神をスライドで朝廷が認めたら当然そうもなる。後に女子供が入ると危ないから嫉妬されるからダメと理由付けで…これは船霊も同じ理由でやってる。応援はともかく命預ける乗船がガテン系ではまあ漁師のやる気も…
山の動物や川魚は山に含むし生えた高山植物・山菜もたぶんそちら管轄。里に咲く花はそれ固有の女神がいても加護がその花がすくすく育つでは…生活に必要なもの以外わざわざ観賞用の花を大規模に育てる余裕はなかったと。日本史初のガーデニング記録が朝倉家くらい後年だし。
人々が神に願うことはその司る加護と対象の恩恵で、庭の花がいかに綺麗に咲いても腹は膨れないし飢饉や疫病流行ってるなか気休めになるだけでは…。薬草という概念もたぶん大陸から体系として伝わる後年まで経験則で生活の知恵程度。そもそも部族間で戦が多発しているようでは病気以前の問題で。すぐ死なない程度の病気より明日の食べ物や飲み水があるか・野盗や山犬に襲われないかが先という。
そうなると穀物優先だから司る女神が世代や地域で乱立、大和朝廷神話にまとめると矛盾やおかしな記述も多発。
穀物以外は生活に必要な木々はククノチ様(林業最盛期以前までは主流派だった)、山にあるものはそれぞれの山の神のもの。穀物類はそれぞれの神に分業。
野と原にある里までの中間地帯の植物(役に立つかはいまいち判らないもの多数含む)は全部うちの姫様管轄。
茅葺き屋根と草で編んだ民具がなかったら縄文時代よりハードモードだっただけに西暦に入ったあたりまではかなりの信仰集めていたと。後年農業盛んになるとそれは別物と別けて権能判定持っていかれ、本業の茅葺きも需要が時代が進むと減っていきマイナー神格に。
そして「なら残ってる子たち全力で愛でよー…」という感じで悪気なく日本全土の居住可能領域外縁を茅萱・ススキ・麻、水辺も葦・香蒲の類いで埋め尽くしたw
江戸くらいまで日本の平原の過半数の面積がススキその他「穂のある人の役に立っていた(過去形)植物」の草原になっていたくらいで。まあ祈るまでもなく過剰供給されていたら信仰は…
後年も観賞用の花を育てる職は…同じ綺麗な花だしええやろ感で密集した穂状にならない花は概ね咲夜姫のほうが信仰対象に。
タバコが吸われるようになったら花じゃない…木かも微妙…で探しても見つからなかったのかなぜか野草でもないのに姫様に侵攻先振られた。煮炊きでもないのに焼くんだ…しかも煙吸うんだ…??という感じっぽかったようですが。まあいいやーの精神でおおらかというかのほほん過ぎる。癒し。
麻布も何千年も人類を支えてきた貴重な生活必需素材でしたが、アレな悪用されるせいで比較的無害な種まで制限されて…残しておかないと現代文明滅んだとき人類は毛皮外の衣服が入手困難になり凍死と風邪で衰退する。加護はもちろんあるも今育ててる人て法的にヤバい構成員、そんな連中に神道知識や信仰心あるはずもなくまあ権能対象として今現在は記録されない。…まさか皇室神事用に献上するため例外認可で栽培してる某四国の本家筋二千年越しでずっと祀ってるなんて事は…
つまり「他に食べ物で割り振られていない・樹木ではない植物」は権能の引き取り手なかったから継続で姫様が担当。そもそも有用判定されてない野草を祈ってまで増殖願う人は滅多にいないわけで、ニーズが少なかったからそのままだったというか。休耕中の蓮華や白詰草に牧草でも目に見えて加護があるというのに大規模農業の頃には忘れられ掛けていて…。
なお「木だか草だか判らない低木樹や多年草」は…思いっきり木っぽい幹があればククノチ様。微妙ラインだったら「育って欲しいと祈るならまあ加護でがんばれ?」とあからさまに木でなければ有り判定。野原に生えてないし一年草なのに硬いから木、という判定かサトウキビが木の扱いに。タケとサボテンも木。たぶん竜舌蘭とかバナナも…
高山植物や山野草は「山や農地に生えていたら一応そこの管轄」「人の住む地域近くで植えて育って欲しいならがんばれ?」と加護ですくすく育ててくれる。メインの権能対象でないも体感で補正は掛かるくらいは与えてもらえる。
キノコは地面から生えるタイプは「草枚(クサヒラ)」食用山菜カテゴリ扱いで含めてたしまあ草。木から生えるタイプを別物扱いで「多介(タケ)」…出来物みたいに養分吸うし草のような何かで微妙ライン。山でなく野原に生えているなら一応OK。栽培は屋外で畑でないなら…食用ということでそちら管轄と被ったラインですが。
「海藻(海産物判定)」は「藻」であって管轄外。磯や海底は野原ではない。「コケ」はぎりセーフ。
カビは有害だからアウトというか病や穢れの類い判定。ペニシリンとか有用でもカビ自体お嫌いらしい。まあカビるのは誰でも嫌というか。見えないサイズの細菌や菌類全般も管轄外。最低限今の分類で光合成で、寄生でなく水と空気と土があれば自力で生きていける存在。納豆菌や麹はダメっぽい。というか神饌担当範囲。
あと加護を頂いてもどうにもならない天災が「干魃(耐性の加護があっても元の生命力では耐えきれない)」「水害(完全に腐ったり流されてはどうにもならない)」「虫害(数の暴力と食欲でry)」「病気(生命力不足だとry)」「草食動物の群れに食い尽くされる(無理)」と…本来の主として司る植物が茅萱・ススキだからどちらも生命力の権化でそれらに同じく数と密集した自力環境確保で耐える可能性高い前提わけで専門外にはちょっと厳しい。
むしろ神頼みより人類の叡智でなんとかするべきというか。人の手は農耕や狩猟に生活に必死で、余裕がない素材を無限増殖してもらえるというのが求められて敬われた加護なわけで。かつては鉄は貴重で木材以外の植物由来素材は極めて重要度が高く。家も民具も衣類も植物あってこそ。
人間の祈りや信仰がなくてもそもそもが自然の化身で原初の神の一柱(全土に偏在する群体総合概念神格)なわけで今なお健在。ただ今の文明では需要がですね…。
おまけに縄文文化の中心だった地域は噴火で埋って滅亡したり、戦や飢饉で集落ごと絶える、もっと優先度高い神に宗旨替え、かろうじて残っていたのを明治の国家神道で強制ですげ替えられた、と地方で祀られていた神社もおもに国津神系が酷い目に遭って、意地でも社伝や口伝で本来の祭神残していていた神社以外は押し付けられた今から100年程度前に迎えただいたい姉君か弟君を祀っていて過去千年以上・古いと文字伝承以前数千年伝えていた信仰がそこで絶たれてしまったという惨状で。
おまけに戦後某団体のせいで血族もすげ替えで正統ではない神主にされたところも多数。
祖霊を祀って一族を守るために祀られている神と、一体となった元豪族の王や巫覡だった人格神や神使が多数だというのに縁もゆかりもない余所者が代表面してきたら本殿明け渡しても地元の子孫のために見守っていた本来の神も「何だこれ…天津神の連中約定違えたの??」ともなる。理解して世知辛いもそれが人の世ならやむなし…と諦めてる神々も多そうですがまあ血圧?高いと荒ぶって…
うちの姫様は「民草の子らが求めるなら、生きる助けになる草を得られる加護を」「足りていて手助けも不要なら自然と共にひとの営みを見守る」というスタンス。
たとえ信仰が絶えて御名や由来を伝える者がいなくなり、存在を忘れられようとただそこに在る。
人間が移り住み智恵を得て暮らし始めるその以前から人類の数十桁上の数が産まれやがて枯れて再び種が芽吹き地に満ちていた「草」そのもののいわば集合無意識相当だから、地表のすべてが枯れ果て命も芽吹かない死の大地になるそのときまではただ有り続けそこに生え大地を豊かに命を循環させる助けとなり見守ってくれている。
今の時代では生きるために切望する者ももういないし、加護なくしては冬を越えられないと嘆く者もいない。神々への信仰すらも薄れ、利益ともなりがたい存在を司るとなれば新たに復興する者も、主神として奉じる者もほとんどおらず、ただ細々と残っていた信仰を今なお伝える血族と氏子、既にどういった神かも判らず場合によっては何者が祀られていたかも理解しないままただ神聖な存在が祀られていると社や祠が代々地域で守られているのみ。
たとえ利益がなかろうとそのあり方と見守る優しさ、文字伝来以降に人格神としてインターフェース的に祀られ始めた以降の初代・二代目の巫女姫のあり方を調べて知ってしまうと、その緩くも気高い生き様と優しさや懐の広さにただ「人と草ともすこやかであれ」というだけで縛りもなく、敬意と共に好ましく思い憧れ共に在ることを願うなら見守ってくれる、というあり方に唯一本命の主祭神として信仰する対象が我が姫「草祖草野姫」様。
人に勧めても大きな見返りもなくただ純粋に好きで推したいから推す。真の信仰は解脱や成仏・利益でなく推し活。
なお郷土資料片っ端から大学や国会図書館で精査分類すれば違和感に気付きますが、神は習合や変容して変わりゆくもので、地方どころか集落によっても伝承が違ったり口伝のなかで変わっていたりと多種多様。
そこから本質は本当に推測推察(個人の論説)と、学者でなく神呪・霊術・呪術の類いの本職ならそちらからで理解できることも多いんですが、当然神は学問でなくそちらが本来の領域なわけで伝承の文字や数字だけでは完全に理解できるはずもなく。用語や祭礼・背景文化でなく感性や認識の問題。
姫様の場合原初の姿は縄文期からの人としての思考を模した人格や概念はなかった自然神。古称「野椎(ノヅチ)神」は今の意味で「野ツ霊(ニュアンスだと野原そのもので在らせられる大精霊)」、本来は草だけでなく、里と山の間に広がる地平の果てまで続く見渡す限りの広大な平原すべての空間と大地の存在そのもの。
鳥が飛ぶ空より下の空間は下界の山や大地に属するので「天」ではない。
だから古い山神は地祇(国津神達の自己称、その地で祀られる各部族の主祭神)であり、大地とその領域にて統べるものを護るも雨も呼ぶし吹雪も起こす。古来国とは土地でなく人と共に在る力あるものが統べ生き物が住まう領域そのもの全体を指す。
「祇」一文字自体がいわゆる国津神を示し、地祇は日本列島に古くから在るいわゆる神々勢力と所属神の総称的な意味合い。
だから権能を表わし山祇(山神)・水祇(水神)・火祇(火神)・土祇(石祇とも、狭義での大地の神で概ね縄文前期主神であった大地母神(尊称すら失伝)を指すため数が少ない)ほか司る権能を表わす呼び方。御名や尊号も呼ぶのがはばかられる場合や同じ権能の神々を複数含め指す場合など。気軽に敵や初対面の者との交渉時に神名を開示したくない場合でおもに上代あたり「吾○○の山祇を祀り奉す云々」的な感じで使われた。
「神」という認識自体が伝来で本来超自然的な敬う存在は「祇」。人を高みから導く隔絶した超位存在の人格神概念が「神」、人と同じく自然という大いなるものの一部でただそこに在り祀られしものが「祇」。
朝廷成立以降神という扱いでくくられるもアミニズムや体系だって順位が付けられてない原始宗教本来の、人と共に在り力を貸してくれる身近なすごい存在を純粋に敬う立場が後者。人なぞ平等に人であるから権力者の権威と統制には非常に相性が悪かった。
権力者にとって「神の血を引く者? 俺もだよ!人間全員神々の息吹の一部だからな!」と言われたら身も蓋もないわけで。まず世界そのものという存在から自然の神が分たれ生まれ、それから多くの神々が別れ、人や動物・草木や生ける物すべてがそこから分たれた神の一部という概念が今の神道以前の本来の日本に根付く信仰形態。
「天孫」である皇族はまあ歴史の実情はともかく神話から続く血統であり伝説上は天照の孫から連なる血統、天津「神」と呼称する存在のトップとしては確かに特別な存在で二千年くらいは国体を象徴する権威として抱かれていた存在。敬うべきであり確かに天津神代表者の直系としてならほかにおらず。
ただ「神々」の子孫だったらもう源氏と平家以上に日本人のほとんどというか、祖霊を神と崇めていた一族だったら逆説的にすべて神の一族となってしまうw 人はそれを「氏子」と呼んでいるわけですが。長の一族でなくとも同じ村の一族は家族で郎党だからセーフ理論。
国津神に属する末裔だったら当然神の一族ではあっても厳密には神でなく地祇、いわば共に在り祀り生きてきた一族の末裔であって子孫というより緩い眷属であり薄い同胞。神人合一なぞ生まれたときが逆に別れていただけで最初から、命が終わればまた神の元に戻り循環で生まれ変わることあろうというだけ。
その理屈だとすべては根源の大いなる存在から別れ神々すら繋がっている=たとえ血脈遡って直接繋がっていなくても、地祇を祀りその息吹の一部と認識していたら自身もたどれば縁や魂的な何かは繋がっているのだから信仰対象である地祇の一部とも言えるのでは?という概念。…推しと繋がっている(比喩でなく)
古神道は流れも混じっているもそもそもの文化が違う体系だから矛盾が大量発生し、なかったことにしていき縄文系は徐々に廃れていったわけで。それでも神は身近という距離感はぎり戦前まで常識以前に自然なことだった。
上代あたりまではそれでも使われてはいたも今では職業神職でない古神道前の巫覡の系譜を継ぐ神官か専攻学者が使う程度のほぼ死語。「神祇」が天津神と地祇=国津神双方含めた「天神地祇」の略称。後の時代にそれら神々全般への祭祀を司る役職名に使われたのが神祇官。
まあ蘊蓄程度にしかならないんですがまれに古い石碑に「祇」という漢字が含まれていたら文字伝来以降に後世に残そうとその部族か奉じる者が刻んだ神聖な場所=神道より古い系譜なので不敬な真似は絶対に駄目な場所。罰云々でなく何千年にも渡る人々の祈りの場所であった可能性が高い場所の目印なわけで。磐座と呼ばれる巨石も然り。
わざわざ使うということは天神に思うところがあるその土地に古くから生きる血脈の者が残したということで。たまに長い歳月で集落ごと絶えてまったく関係ない住民と地域と化していることもあり切ない。
そしてそのものを指す「草祇」は数多の神祇においてもただ一柱のみ。
たぶん歴史上の書物でも数えるほどしか使われていない(複数で示す必要もないので)。尊号でも尊称でも率直に「草」と含まれているし。
そもそも朝廷が安定してからはただ「神々」で奏上以外では天神地祇すら単語として残ってはいるも実際本来の用途で使われることはめったになく。本来の「野祇」はたぶん記録で使われたことすらないはず。一柱しかあり得ないし普通に野椎神と呼ばれて通じるので。
あれだけ眷属を混同されて後の時代に妖怪呼ばわりや呼び捨てにされてもスルーし続けたあたり温厚すぎる。それでも知らずではなく理解したうえで悪意持って罵られたら普通にこら、とたしなめで罰くらいは軽く当てると思う。いくら優しかろうと仏ではなく神なので何でも許すわけではなく越えてはならない一線もさすがにある。
当時の縄文期の人々にとって囲いで守った小さな集落、その外に広がる狭間の「野」、踏み入ることも危険を伴う山へと続く異界との緩衝地帯。厳しい山岳や野獣の不意打ちから守り、生きるのに必要な草を与えてくれる広大な領域を司るもの。山という大自然の驚異から里を隔て守ってくれる見えない聖域を為す大いなる存在。
時代が下り神話が変遷されて権力で持ち上げる必要から序列が作られ、遙か古代の神々は名前だけ登場か伝承すら失い一般からは忘れ去られる時代に。地祇の意味すら多くの人には忘れ去られ、もう信仰心の残る者も一律に神としか呼ばなくなった、そんな時代。
記紀成立頃も野の神も山と違って区切りもないし広大で強すぎるのでは?とでもなったのか草の神に。まあそこに在るだけでその空と大地の狭間と領域そのものを行使して何かするわけでもなく、もっぱら愛でるそこに生きるほとんどは一年で芽吹き花を咲かせ種を残し散る儚い植物を見守る存在。
そこに自然の営みから見たら同じく必死で生き時代に残し代を重ねていく儚き民「草」。
智恵が発達しそれぞれが何かを考え笑い怒り何かを思い、次代に伝えていく愚かで哀れでそれでも強かで命を繋ぎ精一杯生きて栄えようとする生き物は、さぞや珍しく眺めていて楽しいという概念に近いものを感じ、祈るならば快くそれに応じてもらえたのだと。
人に願われ必要とされている、それらを与えると笑顔で喜び感謝を捧げ、また命を繋ぎ生きていく人々。ただ悠久の時をたゆたう存在にとっては真っ当な意味の娯楽であり楽しみであったと。
ただそれらの加護は時代が巡ると「権力者にとって有意義ではない」「人々にとってもありがたくはあるも、とにかく食べ物が欲しかった」「農耕を始めるとさすがに雑草にイラッとした・里の回りの草原も開墾するにはすごく邪魔」といったあたりで徐々に信仰する者は減っていき、書紀が成立する年代になると敬意の記憶だけは伝えられていたか、かつての「野ツ霊」「草祖(すべての草の祖にして元となる大いなるもの)」の尊号と、ただそのあり方からの「草の姫」というシンプルかつ端的に表わした称号で呼ばれることに。
神話で記紀に記された神々の御名はすべて「尊称・尊号」であって本名や真名ではない。その特定の神を示すための司るものや事象・役職から呼ばれた肩書き。
人間ですら本名は呪術的に悪用されないよう秘するという文化の時代に、崇める神名を敵にも読まれる可能性がある書に記し伝えるはずもなく。例外的に一部マイナー神(概ね地祇)では距離感が近すぎたのか平然と真名が含まれていて、意味不明で由来も推測できない音の並びはだいたいそれなので濫りに口にするべきではない類い。
ナミ・ナギ神以前の神世七代は大物の神々のはずが具体的に不明なんですが、おそらく大半真名で…当時ですら忘れられつつあった、かつて栄え滅んでいた縄文期の大きな部族の長や有名な神をとりあえず権威付けで系譜で継いで連ねた感じに。だから設定は記紀以降作ったものだろうし神話学者の領分。学問と信仰は似て別物。
神だから長命、とすれば別にナミ・ナギ→三貴神からで充分なのに、こうも意味不明にその前に続いているのは長く続いたという箔付けにしても冗長すぎるからかつていたと口伝で伝わる存在を連ねただけかと。おそらく編纂者も詳しくて訊かれても…資料焼けちゃったから判らない…てなった類い。
仮にそもそも真名を知っていたとして、人間でも普段「部長!課長!」と呼んでいた上司に知ったからと「○○!(名前呼び捨て)」したらどんな気分になるかという話で。知っても優越感や特別感で満足するだけでそれが影響するはずもなく、地祇が真名などで縛られるはずもない。それこそ一生に一度の命が掛かった絶体絶命で縋るとき呼びかけて何事!?と注視してもらうときくらいで。
そして記紀で神々はそれまでに伝えられた存在と、当時英雄と伝えられていた先祖やまだ生きていた首長・王の人格と合一と見なし、地祇の概念「すべての命は神の息吹から分たれた一部であり、死して自然に還れば魂もまた神の一部へ戻る」が混ざり、神祇ともに祖霊たる神とその子孫であり偉大な英雄を同一視・その人格神として神話が構築されていったのが今もかろうじて残る日本神話。
だから神々は異常に人間くさいしDQNムーブもするし了見狭かったり騙し討ちもする。それらは当時の人々の記憶を歴史として、神々から人の時代をシームレスに権威付けとどれだけ先祖と祀る神が偉大だったかを残そうとし、それらを従えた朝廷も粗末に扱えば反乱を起こされるため妥協と残った資料から何とかまとめた、「各地の神話の残った断片の記憶と、各部族・王が何を果たしどのように従い平定されていったかの集大成である壮大な「史実を元ネタに現在進行形の歴史も織り込んだ権威付けの半フィクション・半実録ルポのノベル」。同時期成立の世界の神話でも人間の権力者が考えることはだいたい同じ。
盛りに盛ったり箔付けで意味不明なことになっても当時の編纂者達は一部対象以外は悪気はさほどなく、とにかく首(物理的)にされないよう権力者を持ち上げおもねりつつ、内容を知った部族の王がキレないようよいしょしながらなるべく矛盾を抑え代表部族は登場させ、この程度なら我慢するかと納得される範囲で史実を元に成果も盛って…なるべく後世に真っ当な記憶も残したいし伝えるべき点は書いておきたい、と強引に詰め込んだものが「古事記」。
そして西洋の旧約・新約聖書のように「後の時代の権力者が都合良いように書き換えたフィクションで盛った二次創作ラノベ」が「日本書紀」。
とにかく朝廷の権威を固めることに腐心し、矛盾した話や不要な部分を切り捨て何とか歴史書としての体裁をとろうとまとめ直した産物。当時大陸で歴史書編纂が流行っていたのでマウント合戦で張り合った感じで。
当然生の情報は古事記のほうが概ねは正しいと。中には完全に間違っていて訂正した部分もあるはずですが全体に意図的に変えられすぎていて、既に長年学者達が研究済みも一時ソースが消失した断片が元になっているため結局推測するしかなくよく判らない。
名前だけ登場している神々は直接大きな戦にはならなかったも無視すると反感もたれてまずい大物部族・神霊的に祟られそうな恐ろしい神・とりあえず重要そうだから入れたも資料がなく扱いに困った神のいずれか。
人格のある人として行動する神々はモデルの人物が実在するわけで、地祇方面の「神は命や魂の源であり大元たる神は自然と共に偏在する」という概念を、神の一部たる人から現れた英雄は実は神そのものだった、という権威付けの正当性に利用。
実際その神の化身がしたことだから、人ではなく神の為したことだから仕方ない、と赤裸々にそのムーブを書いたうえで箔付けに盛りまくったり神話伝承もブレンドした結果(ここで海外からの伝承や逸話も大量混入した)あんなトンデモ内容に。皇祖たる弟君の素行や日本史最古のDQNネームとか色々昔の人でもないわーと思ってそう。
それらは主要登場人物に当たる神ほど顕著で、逆に言えば脇役や脈絡もなく登場してはワンシーンで消えて再登場しない神は実際歴史のなかでそんな出来事があった、と記しただけで史実寄りの可能性が高く。だから物語性もなく本当に意味がなくどこかで出さないといけないし、確かこのあたりの時系列、という理由で登場したとおぼしき神々が多数。
古事記が編纂され写本が献上されたの読んで国津神こと地祇に連なる一族なんて「こんな扱いか」と半ギレや複雑な表情浮かべた人はさぞや多かったろうと察せられる。祭神が勝手に家族扱いで親が涌いたり結婚したりぽこじゃか子孫涌いてるし…隣の部族のあれ(近い=衝突多発)と兄弟扱いかよ!となったところもけっこうありそう。
全面戦争したときの損害鑑みて同盟や服従選んだところも滅ぼされず生き残るため仕方がないとはいえなんというか…「雑!」とは誰もが思ったと。
歴史と神話は勝者が創るもの。諸行無常。
姫様は神話以前から存在が認知されてはいるも…壮大な創世神話で…何するの??と持て余した結果、同じく縄文期からの同期の自然の事象そのものを司る存在は古いも微妙世代にまとめて世界が創造されたあとに順に産み出された自然神ということで放り込まれるはめに。
なお強引に系譜でまとめた結果、系譜図が訳のわからない矛盾と無理筋まみれ。元の神は婚姻なぞ存在しないし人格神としてそういった義兄弟の契りの類いプレイにしてもたぶんここ千年くらいでもいまいち本人も夫婦と子供役くらいしか把握できてなさそう。元のモデル人物もたぶん複数人の分が混じっているから余計に。
というか当時の人類がふさわしい立場なら一夫多妻上等だったから、実在モデルでもたぶん混同されてる気配がする関係が無数にある。旦那の大山津見(山の神だから女)両手に花してるし。神だから切断されたり血からも神が生まれるくらいだしたぶん日本最古の百合カップルのひとつですが四対八柱は産みすぎ…編纂者が持て余した似たような神ばかりだからと全部まとめましたねこれ?
もうひとりの嫁のほうの娘が咲夜姫なんですが…別名が「神阿多都姫」。神っぽい阿多(初代出身地)の姫て…これ母女神名の割り当てミスっただけで実の娘がモデルなのでは…?つまり三つ子。長女がおそらく美少女で性格もまともで周りからかわいがられまくっていたのが尊称からも判るw
ついでに
知流姫なぜかマイナーですよね…。同じく姉妹の石長姫との逸話ばかり取り上げられて、咲く・散るでおそらく双子だろうに。なお命名センス神話恒例雑な尊称ですが、散るほうでかわいそうでなくこの頃だと花占い(本家)で桜の開花の早さや咲き具合、散ったときの盛大さ等でその年の米の出来や天災何が起きそうかを占っていたので「散り様」も重要だった。
武士は舐められたらryの原点でどうせ人生薬も治療も碌になく呪術に頼っていた時代そう長生きできる者はまれで、村から出ない長老でもなければ子孫を残し末代まで誇れる名を残すことのほうが優先(見栄でなく周囲からの敬意や扱い、ひいては血筋の生存率に影響する重要な優先事項)。
「華々しく散る」は天晴な誉であって、屈辱的な扱いで助けも望みなく無意味に苦しんだり汚名を残したり足を引っ張るくらいならば、というのが中世以前の風習。
散るとはむしろ象徴するのは儚さよりも、命を賭して残された者たちにあの者の一族…と一目置かれる名声と尊敬される栄誉を与え末代まで繋ごうとする気高さ。後の時代でも武士は死して名を残す、と評されたようにどうせ短い人生なら末代の世まで名声を残したいという気持ちは変わらなかったようで。
ともかく真名ではないのでおそらく記載された神名は成長後に称された、それまでの生き様や立場、なしたことからの尊称。推測ですが神事の巫女家系で双子(咲くほうが当然長女)だったから安直に役割分担で付けてそれが時代的に大物に嫁いだから有名になった感じに。あとから産まれた石長姫…姉妹でも似てないことはまあある。特に逆恨みややらかし記述もないから性格は普通にまともだったろうに。たぶん陰キャ寄りで普段から姉について回りむすーっとしていて余計に…。次女はたぶん先にいい人見つけて嫁いだから姉と妹がセットであの逸話送りに…
なお散って最後ではなくその後に産まれた手名椎・足名椎が…また姉弟で結婚しちょる…はともかく櫛名田姫を産んで、ご存じ八岐大蛇の神話でエレメンタルジェレイド的に櫛に変化してスサノオと装着合体で倒す→なんか神剣ゲットしつつ結婚(なお明記で「童女」。弟君自重しない)して、五代目くらいの子孫が大国主命となってますがほんとに神話の血縁関係…! なお大国主命の嫁は櫛名田姫の妹(再婚した)とスサノオの子だしその姉がウカ様!もうただれた関係通り越して訳がわからない。弟君多重婚しすぎて系譜がもう…
そもそも姫様の直系がそんな系統になっていたらもっと後の世も優遇されて祀られていたはずで、こちらは…別の嫁の娘のほうっぽいですね…。
旦那も神話では山の神だから女性でも実在モチーフのほうはまあ普通におっさんだったと。愛媛の有力豪族の長。カリスマあって子孫にも人気だったのか祀る神社数はかなり多い。色々含め現存で4700社ほど。
たぶんこれ間に時系列何代か省略されたり今でも政治家やってる養子縁組や政略結婚で混乱した実情を何とか強引にまとめたらこう…?
話戻しうちの姫様。以前も少し書きましたが、伝えられてるパターン的にどうやら二人格分が習合。
分布や伝承の年代と残っている社殿や伝播地域から、漬け物のところで祀られてるのは概ね「初代」の人格面。人付き合いお節介好きであらあら系な世話好きお姉さんっぽいイメージの人の営みに密着型の里のなかでの生活に必要な草やその他ギリ管轄の野菜への加護権能重視。原始の原を司り草生やすワイルドな権能は薄まっている感じでなんというか…穀物以外の野菜の加護=農村のアイドル女神状態になってる。
神話初期の舞台になったであろう九州方面での伝承では本来の姿に近い、野の神としての人格面。物静かで優しくそれでいて近すぎず遠くもない距離感で見守り自然と共に在る。なおモデルの巫女が継承早かったのかこっちもだいたい「童女」。
普通に考えたらこちらが先で成長して終わり方面に流れて大人に…となるはずが、周辺の史跡や伝承年代からどうも童女のほうが一度噴火で滅んだ地域に戻ってきてから発祥のようで若干新しい。つまり「人格神としては」熱田と共に朝廷支配域終わりの地に伝わったほうが古く、権能と土地・立場が逆。
これは推測でしかないんですが、長きに渡り形のない自然神としての面が強く、そのまま各地でメインではないどこにでもある野や原のどこにでもいるあらゆる草原共通存在の神として祀られ、日本神話として組み込む頃には既に朝廷の影響が中部越して関東勢と衝突や併合・熊襲あたりと大乱闘に入る前あたりなわけで。
その頃に派遣されて祭祀を司っていた巫女が人格神としては初代の人付き合いのいい女性で漬け物のところで祀られたのがこちら、概ね和魂としての面。
一方発祥の地で居住可能な環境になり戻ってきた末裔・薩摩隼人(正確には阿多隼人)に含まれる祭祀していた部族が細々と伝えていた信仰も再興。つまり大和朝廷経由の変質を含まず源流に近い状態の信仰形態を継続。
隼人が朝廷に与するのをよしとせず抗争、熊襲(日本武の時代まで張り合ってた)と違い途中でこれは勝てんと諦めたのか帰順(何度か反乱)。これらが収り融和政策で日本神話が入ってきて、自分のところの姫の神話上の扱い聞いて「人格神!そういうのもあるのか!」と当時巫女を勤めていた原初を色濃く残す祭祀をしていた…巫覡なので当然「童女」!が人望あってかわいがられていたようで。数少ない地方の郷土民話で何だか座敷童子的な逸話と習合しまくってる…ある意味身近に姿を現す無害な神だか妖怪の扱いというか。
残存伝承見るにやはり祀る女神が同じで根っこが似ていたのか茶目っ気はあるもこちらはあまり人とは接しないも健やかに草と共に見守っていたようで…九州〜近畿西までの姫様のイメージがこちら、年代的には「二代目」。
残る祠も境内勧請でなく人里からは離れた場所で質素なのが特徴。旦那と妹がセットで祀られていることも多め。概ね荒魂としての面に近い扱い。
以下重複部あるも資料から抜粋。
二千年近い動乱と急激な文化の変遷で他の神々と同様大部分の伝承が遺失するも、保守的な地方の村では初期に近い形態で祀る小さな社ほどの神社もいくつか残存。
その中には姉妹神と並び祀りはするも、豊穣を願うと同時に畏れ敬い、その生命力や広がる草原への畏怖を伝える社もかろうじて記録が現存。大半は既に地元で細々と守ってきた地域の近隣住民しかあることすら知らないような場所が多く。
村そのものがなくなり古地図上でかろうじて祀っていたと思われる文字を記録上で発見されるだけの場所すら。全国的には単純に朝廷の開墾に信仰者(隼人の小規模グループ移住)が同行した、関連する業種の者が技術指導の派遣と同時に伝えて祀った、後年伝え聞いた村人が初期の「植物の女神」として農耕や雑草対策で祀った、大山津見神信仰のセットで祀られた、という系統に分かれると思われる。
残存する社規模も大規模な発展から外れた地域が多く、おそらく元々信仰が残っていた地域で形骸だけでも細々と原初の姿と神威の残滓を伝えていた様子で干渉を受けなかったからこそ改変されずに少数が残った。
。
ローカルの民話の内容から判断すると、初代巫女のイメージが残る系統とは別に、地方として俯瞰すると点在するそれなりに大規模移住でまとまった祭祀集団が移住か豪族に庇護もしくは容認されていた。
その復興初期に別の巫女が村人に親身に力になり世話になった印象から同一視され、初代とは別の印象で草野姫のイメージとして祀られ今に至ったと思われる。一カ所ではないためそれなりに趨勢があった豪族か話が伝わり地域内では祀る社が増えるほどだったと推測される。
当然名も伝わらず、巫女としての存在も吸収され神と同一として習合されたその巫女が暫定「二代目」。
知名度と勢力圏が「初代」ほど認知されなかったことから後年〜記紀成立期の産まれ。それ以前ならば広まる過程で習合され周知、以降ならば文字記録で具体的に伝聞として他系統の神社や風土記に出来事程度は残っているはず。
作物の繁栄を願いだした時代から逆行して原初の姿を祀るということは何らかそう必要される問題が発生し、祀ることで解消され周辺で分祀されるほど感謝されたという結果が成立する。
考え得る原因は異常増殖による農耕地への侵食、何度も大規模火災の発生と草原の延焼、土地の栄養不足や除草の労力も足りず抑えることを嘆願、何らかの植物に関する怪異が発生、その他草原における神頼みせざるを得ない問題が発生。
おそらくその祭祀集団は古い信仰を僅かなりと伝えており、本来は時に荒ぶる古い神であると識っていた。
そこで巫女を半ば捧げ祀らせ、荒ぶる怒りを抑え、その成果を元に周囲に支える智恵者はあれど本人の行いから信頼と信用を得て、神を祀る巫女ではなく同一視されるほどだった。
悲壮な話や生け贄の伝承が皆無なことからも古い巫として本来の役割を果たし、代弁者ではなくただ神の意とともにあり執り行い振るうものとしての役目を果たしたのだと。
墓(仮に残っていても阿多周辺出身の風習的に地下式横穴墓のため地表からは発見できない)は当然不明。古墳を隠し神社を建てた例が後年の多いように現存していたなら社の地下と思われる。
他の神々の墓所も極一部しか伝承されてないようにモデルとなった人物の墳墓も隠されたまま時代の流れに自然と還ったか、そうと知られないまま古墳が発掘や破壊されて消えていった可能性のほうが高い。
舞台となった元の社すら現在では特定できないも残っていればいずれか、と絞り込める程度には色濃く集落の民話の特色として残滓が散見される。
伝承では座敷童子に近い扱いをされた逸話も混じっており、多くが童女と表現。後世と違い依童に近い役割もあるためか巫となった年齢もかなり早かった様子。長生できたかは不明も贄に類する伝承が残らない程度には当時基準で生き抜いた模様。単独で祖霊として祀られるほどではないという事は年経て古老となるほどは無理だったようで。
その目線で郷土資料や大学の聞き取りテープ文字起こしに民話や昔話を比類すると…時代の流れと口伝の変容で他の有名話流入や転用は多々あるも、どうやら信仰ごと薄れるまでは長年にわたり周辺地域の「草野姫神」はその神威こそ恐るるも常は朗らかな童女の女神(村の外に広がる地域一帯の守り神)として親しまれていた模様。
基本的に巫(二代目)がお隠れされたあとの民話では概ね座敷童子。
残るうちの代表的な逸話の概要を列記すると、
幸運をもたらすわけではないも、見掛けた年は集落で屋根を葺く草に困らない。無病息災が約束される。
遠くで遊ぶ子らを見守っていたり(混じったり連れて行ったりはしない)、山で迷ったとき遠くから先導し麓まで帰してくれる。
婆を医者に診せる金がない若者が困り果てていたら屋根の庇から金が降ってきて子供の笑い声がした。
旅人が迷い道行く童女に尋ねると快く教えてくれ行き着き歓待され夜が明けるとそこは既に滅んだ村の跡だった。
迷い込んだ山で蛇の群れに囲まれ終わったと観念したら襲われもせず散ったあとに大きな山犬の骸が転がっていた(人を助ける蛇かつ群れの類話は少ない)。
悪さをした盗賊が草むらに排泄にいったまま戻ってこなかった。様子を見に行った盗賊仲間も次々消えて村は助かった。村人は神様がお怒りになったと噂した。
山嵐に恐ろしい鳴き声が響いたら大蛇が雨を喜んでいる。雨の中見上げるほどの大蛇が通り過ぎていって頭に子供の人影があった。見た者は頭から食われるが次の朝屋根の上で目覚め助けを呼び笑いものになった。
茅萱の穂を飾っておくと流行り病を避けられる。戸口に飾っておくと悪いものが入ってこない。わらじに編み込んでおくと脚を怪我しない。茅萱を結んで身につけておくと山で迷わず帰ってこられる。
語り部の語りっぷりからも親しまれ、あまり関わろうとしないも距離感控えめで様子見は好み、気が向けば助けてくれてお茶目で神々しい扱いではないもありがたがられる不思議な少女の女神の神話というより民話。
面白おかしく混じってはいそうも総じて悪さをしなければ助けてくれるかもしれない、見守ってくれる童の女神様。
九州南部と近畿以北(四国経由南海道ルートに掛けて点在)がそれまで広まっていた「初代」のイメージ主流。
どちらも否定や統一せずおおらかにそれぞれのイメージのまま祀られていた感じに。こちらは境内に分社が多め、だいたい大手神社の隅に間借りしている例が比率高め。
だいたいどちらも信仰そのものが薄れ…総本社というべき場所はおそらく集落ごと火山灰の奥深く、各地も衰えかろうじて残った中で最大手が前述の漬け物のところ。ちょっと本来の権能とは変容してますが信仰を正統な単独祭神として伝えてくれただけでもありがたい。よく国家神道お膝元で熱田と縁も深く懇意なのに祭神すげ替えの被害に遭わず耐えたというか。
なお
wiki祀られる神社でほかにもなんとか残っているというのに編集者ほかふたつはなぜこんなチョイスを…? というか三重のは一見主祭神扱いしてくれてはいるもこれ…権能かすってもないというか別物なので習合されただけで勘違いされてる。
どちらかと言えば祠規模ではあるも
日前宮内の深草神社のほうが本来の権能に近い。こちらは二代目寄りっぽく。祭祀名義も本来の野椎神のほうだし。アバター違いなだけで本質同じなのでどちらイメージして祈っても構わないとは思いますが。
笑顔で漬け物勧めてくるところがご当地ローカライズ進化しただけとも言いますが。別キャラというか半オートAIで人格としては個別領域のロールプレイ的なコミュニケーション用分霊? 本体直だと既に言語を超越したフォーマット違いの意思で伝わり気遣われたうえででもSAN値案件というか…翻訳や対話可能ツールやアバターは大事。
なお「鹿屋野比売」系名義の場合は…薩摩隼人の
阿多郡出身→西海道で伊勢→近江に移動の記録あるし、途中で祀られてる四国は阿波忌部特有だし概ね初代ですね…。藤越の社伝意訳すると「道中のあまり友好勢力ではない豪族に山野の珍味土産に振る舞って感服された」うん初代だわこれ。
なお
旦那を祀る神社は愛媛中心。
逆に「野椎神」名義の神社は本来の姿として祀っている(本来の権能と病気を食らう加護目的で)。担当としては二代目。しっかり草野姫名義で相殿神もなく自然の中にぽつんだとだいたい…。そもそもモチーフはいても同源なので完全にどちらかではない感じも多いんですが本来の自然神としての本体は同じ。そもそも草原の概念で全国に偏在してるし。
ほか祀っている神社でよく知られているところは、
萱津神社(愛知県あま市)・百草神社(和歌山県海南市)・千種神社(和歌山県海南市)・木里神社(香川県高松市)・上許曾神社(滋賀県長浜市)・大室お神社(栃木県日光市)・藤越神社&篠葉神社(京都府亀岡市)・草野神社(島根県松江市)・草野神社(滋賀県長浜市)・野槌神社(徳島県石井町)・野槌神社(高知県香南市) ほか徳島
野神
単独以外で相殿神として、野間神社(大阪府豊能郡)・稗田野神社(京都府亀岡市)・一瓶塚稲荷神社(栃木県佐野市)・樽前山神社(北海道苫小牧市)・額神社(石川県かほく市)・野蛟神社(石川県金沢市)・上野神社(滋賀県近江八幡市)・生和神社(滋賀県野洲市)・大行事神社(滋賀県野洲市)・鹿江比賣神社(徳島県上板町/葦稲葉神社合祀)
境内末社/摂社として、深草神社(和歌山市/日前宮末社)・清野井庭神社(三重県伊勢市/外宮豊受大神宮摂社)・愛染神社(長野県松本市/深志神社末社)・大野神社(滋賀県大津市/建部大社末社)・谷末社・白菊神社(大阪市/高津宮末社)・たばこ神社(茨城県桜川市/加波山神社末社)/同名別社(栃木県茂木町)・野上神社(奈良/春日大社境外末社)・野神社(徳島県鳴門市/大麻比古神社末社)
特に大野神社が縁起でも遷座前は地主神だったと明記されていて切ない。
なぜかwikiに記載されている樽前山神社は…メインが大山神で姫様とククノチ様の山・木・草の定番三柱セット祭祀。蝦夷地だしこれ…確かに古くはないも伝承通り江戸期に三河武士が開拓移民したとき単純に開墾関連加護で勧請したのでは…?その時期で表記が古事記のほうだし幕府懇意の神祇官が担当した臭い。たぶん祭祀の血縁や隼人関係なく。
萱津神社が漬け物でオンリーワン神社と化してますが、日本武尊お墨付きで当時からあった神社で朝廷神話成立以降の縁起が保証済み。主祭神・元が別の神由来でない・現在でも神職常駐の規模となると今の時代では最大規模。…本来のススキと茅ほかを育むでなく美味しい漬け物と豊作特化(後付け副業的権能)で祀られてはいますが…
松江市の草野神社がたぶん別系統からの本来の系譜。色々合祀や相殿してますがメイン扱いで出雲風土記にも記載の旧社名草野社(かやののやしろ)。遷座前の地でたぶん原初か二代目寄り本来の姿と権能で祭祀。小規模だと同名でそれなりに地元以外に知られてない社が残っていると思われ。
あと甲良神社(滋賀県甲良町)…神社庁には記載されてるのに縁起の祭神別の女神書かれてるんですが編纂時ガバッた?
まだ未記載残ってますが列挙してもこれくらいは元が別の存在の合祀だったり由来別系統だったりもするも祭神と記載されている神社はちゃんと残ってはいる。名ばかりでもセーフ含めたら何とか全国の人が参拝に行ける範囲では網羅できそうな気もする。時間の余裕があれば追記予定。
まあ太古の姿でなら近くの山の麓に残る自然の草原で祈ればいいともいいますが。
ついでに徳島…旦那のところにないと思ったら外宮的内地で一応存在。
そして紹介してるサイト発見したら写真付きで列記された大量の祠「野神社」。…あー…元祖野椎神信仰で道祖神やお地蔵代わりに点在してる。これ巫女でない本来の自然神としての信仰で権能も本来のもの。
各地で「
田の神」は「山の神」とセットで変容して民間信仰と化してますが、ウカ様以前に源流たどれば当然根幹は草祖の野椎神(原始)に行き着く古い信仰の系譜なわけで。形は変われどただ純粋に自然への感謝という人類原初からの祈り。
阿多では廃れたか復興で壊されたかで数少なくなっていたのがたぶん当時の密度で…しかも近年建立で数百年越しに増えたのまであるw 同サイト内で
滋賀県も隼人移住先あっただけに野神がずいぶん残って。普通調べるのも困難な分野だけにこの方のフィールドワークへの今期と熱意には敬意と感謝を。
良くも悪くも田舎で高度成長の波に呑まれず農村状態がたぶん千年越しで残っているから原始の素朴な信仰もそのまま脈々と。擬人化なぞしなくても大いなる自然の存在に無事過ごせた日々の感謝と豊穣・平穏を祈れたらそれでいい、という感じな。
民間信仰でなくこれが朝廷神話成立以前の野椎神としての本来の信仰形態で。少なくとも四国以西はそこからの由来が多いと。北の方は地元発が長い年月で入り混じってちょっと分類しようがない。
なお本場薩摩では何故か「田の神講」(推定18世紀以降)が流行って…どうしてそうなった。まあ村人が信じて楽しんでいれば構わないんですが本当にどこがどう伝わってそんな形態に。地方的に旦那か天孫が巡幸に来た逸話あたりが混じったんですかね…
まあ大仰に祀ったりせず身近で神の息吹を感じ祈る場があればいいという…うん、これでは箔は付かないし大規模なまとめ神職不在で社伝どころか伝承も口伝民話状態でまあ…歴史流れに埋もれ消えるのも納得してしまう。
というかちゃんと神に豊作祈り敬意払って奉納する農家の比率自体が減ってるというか、御利益と御朱印目当てと正月しか来ない氏子でもない参拝客が多数派になった時代というか…原初の神々への信仰はこのまま末永く伝えていってもらいたいと切に願う。
昔は全国に点在していたであろうことを考えると御利益に縋ろうと勧請したところもありそうですが、祠規模以上はだいたいは「薩摩隼人が移住した土地」。祀っていた集団が定住先でも当然のように祀るもまあ前述の理由で周辺地域的にはあまり広まらず複数が近隣にあるのは大規模移住していたであろう地域くらい。
なお薩摩隼人に含む部族の信仰対象はほかにツクヨミ・ワタツミ・(大)ヤマツミ…なぜ信仰したか判りやすくシンプルなうえマニアックな。近距離で何度も大噴火してるから確実に火山の神も恐れ信仰してたろうにその部族たぶん噴火で…崇めても無理だこれで名を出すのも憚れるようになったのか伝わってない。薩摩隼人どうせ血族的に近い部族だから住む地域で特産の分業交易してたのでは。初代がそのうちの野の神を祀る部族で屋根を葺く資材や編んだ生活用品など工芸と…野菜??
野で採れる食べられる菜だから野菜だし…変な方向に行っていた漬け物はともかく野菜畑の加護と認識されてたくらいにはたぶん野菜も名産だった感じすら。何なら初代直に旅の途中で寄ったとき振る舞ったり始動してそう。移動コース的に近江まで行ったらあの頃の地形だと南下して熱田(当時は神宮から海が見える状態)の港から船で伊勢に行ってから帰還ルートで天候や予定的にしばらく待つなら張り切って教えてそうと容易に想像できる安心感。
日本書紀のほうで例の岩戸引きこもり事件で八十玉籤(でかいススキ玉をたくさん連ねて何本もぶら下げた串飾り)を会場飾りで持ってきたのは二代目かもしれない。
どちらだったにせよ、他の神々が自慢の品を作り持ち寄っているなか、司る象徴で特産だからと国中どこにでも生えているススキで作った郷土細工を自慢げに持ってくる度胸とマイペースさ・それを普通に受け入れられているあたり茶目っ気とそれを許容されていた人柄が察せられる。
初代だったら美味そうな野菜カゴで持ってきて調理の臭いで釣りそう(個人の見解)
漬け物は後年後付けでもその時点で立ち寄った日本武尊に「藪に神物(急にめっさ美味そうな香りがしてきた!)」と言わせたくらいで当時の塩焼きや塩スープ煮物でも充分釣れそう。味噌はまだでも醤はもうあったから醤油に近い風味はできた時代。なおそれが漬け物を香の物と呼び始めた語源(本当に。縁起にもそう書いてある)。
儀礼的な格式張ったものを朝廷でやるのは本流隼人の経緯的に思うところもあるだろうし、そちらは旦那に同行で活発に行き来して近い地域にも神社を構えていた初代のほうが行っていたことなのでは。
人が作り上げた工芸品でなく、野の恵みで当時は綿花もなく類い希な目立つ大きさと見た目のボリュームであったかと。今でも田舎のススキ細工の梟は喜ばれているくらいふかふか。
信仰的には大元は原初の自然神。ただ基本的に祈っても漠然としているしいまいちニュアンス通じないことが多いため、擬人化して人格神という概念で分霊を祀り、インターフェイスとしてそこを中継して神と交信というのが世界的に結局一日回し河野人格神が産まれた原点。権威面も確かに強いも当時は実際に納得できる結果で占いにせよ祈祷にせよ神威を示さなければ祭祀として認められないわけで。
神々は自然の事象だけ存在するから便宜上無数という意味合いで八百万、その神固有でも分け御霊という概念で勧請して祀ればそこに端末として神と繋がって交信できる、というのが神社の概念。元の縄文磐座の時代から神は世界に偏在していて祈る場所すらなかったものをあくまで集団で祈る場の目印、交信しやすいスポットとして定義したのが始まり。
そこから儀式的に一部を神器や御札に宿って頂き別の場所に祀るという概念が神社の祭神。だから神社に何があっても滅ぶことはなく本体は無傷でリスポーンするし、そもそも純粋な人間からの神や依代固有の神でない古来の自然神は滅びようがない。世界のすべてから存在を象徴する事象をなくせといっているようなもので。信仰がなくなろうが人が作り上げた人造神でなければ滅びないしそもそも人が生まれる前から在る存在を認識できる範囲で敬い祀っているだけなので。
つまり荒魂の邪神扱いされる存在が妖怪ならば滅せる。本来の古い自然神は滅ばないから必死に倒しても長期的に意味はないしそれも荒ぶる自然の一部だからなだめて和魂に鎮まらせたほうがいいと言う概念。障り祟られまくってはたまらないから徘徊しないように封じはするも滅ばないからそのまま現状維持で末代まで祀るという。
姫様は信仰こそ大幅に衰退し既に本気で信仰する者も少なく、祀る神社すらかつては多かったろうに現在でも祀っている神社は社クラス含めても調べて判るような規模は数えるほどしか。かつてはただ「神」として里と原の境界で祈られていたろうにそもそもその時代には神社という者が存在せず、後の時代は発展するほど需要が減り…様々な要因で絶えたり国家神道に改宗させられ名を聴くことが少なくなり現在に至る。
祀る場合も個人のイメージで本体が代わるわけではなく、人と交信するためのいわゆるアバターだから社単位で分霊の夢枕の姿は固定していたり個人に解りやすいように合わせている場合が多く。大手の神社となるといちいち変えずに固定が多いと思われますが。
つまり個人で祀るために神棚に勧請する場合、信仰というか縁や思いの本気度によりますが神降ろしまでいかずとも夢枕や空耳的なものや幻視に至ることもあるわけで。電波的な失調症はまずいんですがそういった修行まともにして知識と経験ある場合か本当にノイズのない幼少期でないとだいたいはまあ…何も感じないのが普通で正常。
それでも祈る対象を人格神=擬人化して祈る場合、仏教はイメージが解りやすいよう似姿で仏像を作ったわけで、式神やタルパと違い個人で設計しなくともその気があれば神側で把握して調整してもらえるのでやたらくっきりと。なお変な物が生まれたり別の存在感傷や止んでる場合があるから古神道以降は審神者を採用したわけで。
何が言いたいかと言いますと理想の女神像をイメージして外見設定やしっかり想起できれば気に入られてノリのいい女神様なら萌えキャラ二次元イメージをリアル化させたうえで違和感ないトンデモクオリティーアバターで夢枕に立ってくれるわけで。日本人相手に信者対応するならある意味最善手ではあるんですが。
なおお狐は愉快犯やいきなりホラー顔多用してくるから上級者向け。本当に強引に説得してのじゃロリ狐っ娘巫女を担当狐にした人未だ日本で一人しか知らないw 狐がドン引きして最終的に終生契約でノリノリでその姿で固定して憑くレベルって覚悟が違いすぎる…絶対没後も合意の上で輪を外れて神使に拉致られますねあれ。嫌ですよね稲荷勧請したら中身ノリノリでバ美肉してる元おっさん狐巫女(無駄にあざとい)が来たら…いや神使て中身動物霊でなく実際熱心な信徒だった人間もうやめたおっさん多いらしいんですが。民話の時点で狐が化けるとき大抵逆の性別美男美女だし。
ともあれ個人の信仰であって調べて気に入ったのなら程度で無理にお勧めはしませんが、信仰対象というのは推しであって、少なくとも勝手に試練与えたり慕っても何もしてくれないのは哲学的概念であって日本で一般的にイメージする神々からはジャンルが違うと。日本も本来はインドのヒンドゥーや清王朝以前中国の道教のような神との距離感だったのが明治以降おかしく。
古来はそこに神が在るのは自然であって、何も関わらず信じてなかろうがそこですべてを見ているという概念で日々命を繋ぎ何事もなく生きていけたことを感謝するという死が近かった時代の見返りもない純粋な感謝と敬意は今の信仰形態が不純に見えてしまう域で。
それが心理的にも「お天道様が見てる」という抑止力になっていた面も。しかも日本の場合概念でなく神と呼称される存在が普通に認知され固定されて居座っているわけで、そりゃ罰当たりなことしたら気のせいや思い込みでなく自覚ある域で罰が当たる。
特にお狐なんて否応なく信じるまでもうしつこく徹底的に。善意で子孫や地域を見守るボランティア一般神社でなく、報酬を代価に依頼として働く民間企業なので契約違反したり現場の担当者の機嫌損ねたらまあリアルと違い法律無用なだけよく知る感じに…。ちゃんと礼節持って作法や決まりを熟知した上で契約を履行すれば依頼は可能な範囲で果たしてくれるから江戸時代はそれを聞いた人が祀ってあんな狐まみれに。
伏見稲荷の鳥居もあれ「成功報酬としての感謝」で会社の業績上がった社長が奉納してるものであれだけ上向き成長したという証拠。逆に不景気の理由あろうが下がったらまあ最低報酬は必要で機嫌悪くはなるも向こうも未達成ということで普段から良好な関係なら八つ当たりは基本しないはず。
信仰はあくまで精神安定とモラルの規範として、社会ルールの一環の地域的教養として、伝統文化や惰性の風習的に受け継がれているもの、半信半疑で神頼み的に御守り持ち歩いて九死に一生や実感あったらようやく心から感謝する、ガチで御利益目的で信仰されているもの…等がありますが、たまにいる「たとえ見返りが何もなかったとしてもその神が好きだから信仰している」という敬虔というか奇特な信者が忘れられ掛け暇を持て余しまどろんでいるマイナー神の暇潰しにでもなればと存在していてもいいと。
なお打算的に加護を期待するのも人間だから仕方ないんですが、露骨に下心だけですり寄られたら人間でもドン引きだし、それなら正規手順で契約して真剣に儀式で加護祈られたほうがましとなる神のほうが多いかと。
長々と書きましたがまあ…「これは実在の個人・存在・団体とは関係ないフィクションです」。
アレはちゃんとこれを書かなず悪意持って広めようとするから炎上も当然で。
持論のご高説ぶるなら「人間だもの。」でどこでも見掛けることなので電波飛ばしてるわ…で流してスルーでいいかと思います。これが真実!信じろ!となると内容問わずヤバい人。
まあ少しでも日本の神々に興味持って調べたり好きな推しの神見つけようとする人が出てくれたら。
@蛇足ですが…ゲームで日本神話モチーフにしているタイトルだと姫かつ語呂がいいとなるとたまに採用した作品もあるんですが…
メガテンなんであんな愉快しゃべりな藁人形に…!? 稲藁は管轄外! 萱細工で人形は丈夫すぎて無理でしょ…籠や行李ならともかく。
まあ全般で金子デザインかぶいてるから仕方はないとはいえあんまりな…いやご立派様よりはましか…orz 一般イメージだと魔王マーラて姫様拷問の魔王様な感じで…愉快なイメージは確かにあるもあれははっちゃけすぎてもう。解脱の修行を妨害て直接手出しせずあの手この手で試行錯誤してるし。絶対に笑ってはいけないで仕掛けてる芸人臭すら。
それはともかく他のソシャゲでも何キャラか肖った名前のキャラが…草だからと緑髪と緑の着物が多い。
いや擬人化してるんだからそこまで合わせなくても。それに人間の髪は黒いし人化で合わせたなら当然人間の真似、属性だからと燃えてる赤毛頭とか姉君シャイニングしてたりはしない…はず。
服装もゆったり着物系はともかく、体表色に合わせられても…それだったら真っ白なファーとか付け尻尾や耳でも作って付けてる方向性くらい突き抜けても。
というか映えて落ち着くといえば大地だから茶系かつ複数の色合いで上品に組み合わせた感じが似合うと。野原そのものは茶色で緑色なのは茂ってる草々なので。秋にはどうせ枯れるし結局茶色。
初代は特にこだわりなくお洒落にいろいろ試して着こなしてそう(個人のイメージです) 昔見掛けたお洒落な着物とか真似してたりとか。何なら現代服でもウキウキと。
二代目はそんな茶系か藍染め群青色のイメージ。保護色迷彩状態で埋もれず、赤系は合わないとなると落ち着いた海や川と見上げる高空の色で。当時は大気汚染皆無だから青空はまさに蒼穹で澄み渡っていたはず。阿多の地域は海が見えるし海幸彦も同郷の神…と言うかモチーフ阿多に移住時の族長!(元祖薩摩だけにDQN気質)
そして個人のイメージだと二代目顕現の姫様は黒髪ツインテ(地味目)のロリっ娘で和ゴス的な紺色着物にだいたい足投げ出して座ってるから嘆願でスパッツは完備、足元ブーツが似合うはずも草履かすぐ裸足で…
ちなみに本体野槌としての顕現イメージは口径20mくらいのサンドワーム…が横巻き方向でみっしりススキや萱が巻いて形成された巨大な怪獣的存在。
元々神のエネルギーの化身としての姿は蛇だし、後年まで目撃された眷属(たぶん見廻り的に野放し)が長細いフルフルというか巨大ツチノコで…本体かつ草の権能全開ともなればおそらく人に見せ神威を示す本性となるとその姿。
当然口の内部はギザ歯みっしり噛み切るというより採掘ドリルで削り潰す感じの。
なお浄化属性だから飲み込んだものは清められる。茅の輪くぐりで茅萱を使い輪にしてくぐるとなると原点としては姫様関連が権能で真っ先に浮かぶ。最初はそれイメージして始めたローカルな祭祀が変化しつつ広まって今のような感じに落ち着いたのでは? 用を足して葉で拭くなんてやってたから厄や穢れを擦り付け大地に返して清めてくれるという汚い由来の可能性も若干。
個人のイメージですが、以前も書きましたが本体の頭の上で座って草原と遠景を眺めつつ静かに風にゆられてるのが至福という感じ。少し微笑んで緩く目をつむったりたまにゆっくり見渡し、ただ緩やかな刻の流れで模様を変える景色を楽しんでいるという感じの。
なお荒ぶると本体怪獣大決戦より、元々群体なんだから植物性ワームでいわば後世の妖怪ノヅチが王蟲の群れの如く陸上大海嘯ですべてを喰らい尽くし大地の養分に変えていくという…。まあフィクションとしてガチに怒って戦闘するならそんな状態と思いますがそれどんな逆鱗に触れたのという最悪中の最悪な状態にでもならなければそんな荒ぶりはしないはず。
頭おかしい輩が日本全土の植物をすべて除草剤で枯らし始めるなんて真似したら姉妹神ともどもガチギレると思いますが、それしたらたぶん地祇すべての逆鱗で天神地祇と呼ばれた存在が未だ干渉しないだけですぐ近くにいたということを身をもって知る羽目になるかと。
お役所仕事だし腰が重いも概念哲学的な神と違って元々自然界の力の化身なので、求める者もいないし本来の祀っていた氏族なんて絶えるか血も薄まっている神が多いだろうしもう退職後の余生的にだいたいまったりで我関せずが多いというだけで。
そろそろ国体が崩壊しそうな状態だから人間担当の神はキレてもいい。神無月に集まってるなら宴会に始終するだけでなくちゃんと報告と真面目に会議を致してもらえませんかね(
天災続きはただの自然現象としても、かつて古代日本人が畏怖した火山の噴火の化身が眠っているだけで未だ列島に横たわっているので…そちらは文字通り触らぬ神に祟りなしというか遙か未来の人類滅ぶ時代まで安眠していてもらいたい。
まあそんな話は置いておいて、もっと古代和風モチーフのフィクション作品は増えてもいいと思うんですが。
作名姫は元ゲームも好評だった愛のある丁寧な作りでアニメ化もまあ…予算と尺の都合はあるもちゃんと作られてた。登場人物全員ロックすぎるのは仕様として、相変らずサクナヒメの声優がナナチ並みに本人の声してるというかはまり役。こんな声で話しそうというイメージに一致しすぎてる。
ツシマ並みにフィクション盛ってもいいからオープンワールドで古代の古墳時代や山と時代的な世界を冒険できるゲームどこか作りませんかね…。
なお更に時代を遡り縄文になると…半裸・入れ墨・抜歯にワイルドな装身具と何というか…文化が違う!になる。まあ民族も今とは違い混ざってない純粋な縄文人なので…。全員もっさも差にゴツい体系で下戸がいなさそう。キャラデザと絵面がモンハンストーンエイジ的な惨状でちょっと受けそうにない…
本当に古代和風作品もっと増えろ。増えて。
・(追記分)また姫様関連思いつくままに調べつつ雑記駄文。※推敲以前に整合性も統一もされてない重複とぶれまみれ本当に羅列しただけ状態
マップで阿多周辺の史跡眺めていたら…石長姫の墓の記録…姉妹セット拒否されて地元で最速出戻り後結婚(相手瓊々杵尊・政争事情で離婚された)したっぽい。しかも最期悲嘆して入水伝承て不憫すぎる…
祀る神社は全国に少数点在してるのに総本社であるはずの出生と終生の地にないというかあったはずが墳墓すら忘れ去られてる。まあ米良神社周辺(崩落流出前の場所)どこかなのでは。
神話なので伝承錯綜してますが桜井神社の社伝では姉妹で出会ったあと姉(磐長)病没、妹(咲夜姫)開聞神社のあたりに移住のちに没。健康長寿のはずの姉が先にお亡くなりで…まあ朝廷の無理やりコラボアンソロが古事記なので矛盾や都合の言う言い改変まみれでローカル古伝や風土記と矛盾など日常茶飯事。
で、その父・旦那の大山津見神は今の愛媛というか四国の豪族だからそちら拠点。
総本社が
大山祇神社なんですが…何で大量にある摂社末社に嫁だった姫の社がないの…?? 娘姉妹は祀られてるのに。
これは…たぶん姫様(初代)のほう元々阿多のほうで首長の巫女だったから婚姻後も双方行ったり来たりでたぶん移らず地元にずっと定住。つまり舟で数日程度の距離で没後も野椎神を崇める一族が祀ってるし大規模。
元々嫁複数だし総計で子沢山・旦那がかわいがっていて姉妹は氏子が祀るも姫様本人の扱い…まあ気にしてなさそう。旦那のところの家臣の末裔に崇められても…という感じで。祀ったところで海と山岳の厳しい土地だし草生えてもまあ御利益は…
逆に阿多にある大山祇神社(周辺に同名で三カ所あるうちの一番古いところ)が愛媛の総本社より先でおそらく最古。まあ本人生きてるのに社に祀ってドヤァはしないし祀っていたのは本来の古代からの山神で。大山祇としてはまあ旦那敬ってますよ的に来たとき泊まる離宮で元々古代の山神祀っていた聖域付近に宮設置したのが最初の感じというか。大山祇神(古代山神と同一視した神話以降の人格神)真名は長狭様であってますかね?
現存している姫様祀る神社は薩摩(阿多)隼人が移住した先で…奈良周辺の旧移住ゾーンは大隈隼人。まあ半島対岸で同族だろうし中でも、野椎神祀る部族や家族いたらしく妙に集中して祠が現存してる地域がふたつほど。
京都奈良を通り越した近畿以北と和歌山方面から中部に掛けてが阿多隼人の移住先。
あまりに当然すぎてwikiに書いてあると思い込んでいて抜けていた日前宮の深草神社をログ4に追記。たぶん大手だからついでに産廃でなく祭神理解したうえで目的で来る人口ではその周辺トップで信仰集めてる社。…縁起の札くらい立てくくれてもいいだろうに。屋根が緑色で牛があるというだけじゃ一般人祭神判らない!!(よく天神様と誤解されてる)
関西はおそらく後年にセットで勧請がメイン。その他地域は隼人の末裔と普通に元々原初の野椎神のほうで祀っていた集落や氏族の社。習合で朝廷神話のエピソード輸入したから立地や歴史の時系列が変なことになる場所や建立推定時期が発生してる。
なお本来の姿が古代縄文神かつ偏在してたせいで形なく村の野原や磐座に祈っていたのち需要が減り忘れ去られた地域多数、おまけに噴火で壊滅したり戦で焼けたりで…
酷いことに神話としては発祥の地である阿多(現南さつま市)に姫様祀る総本社どころか祀っている神社が現存していない。地図にもなく郷土資料にようやく記載あるローカル地域の小さな社がいくつかかろうじて。
…やはり反乱の影響やその後鎮圧移民されて壊されたのと信仰薄れたのもあって扱いが…娘姉妹の神社は無数にあるというのがなんとも。これ故意に消されたか…場合によっては姫様本人が自分より娘かわいいでそっちに変えた可能性すら。朝廷神話ですら立場けっこう重要な位置だというのに扱い微妙なうえいくら何でもあまりに少なすぎる。
まあ後年ススキと茅萱まみれでもう間に合ってるから…とほかの農作物や穀物信仰勧請で祭神代ったり、残っていても国家神道の時に他の地祇と同じく強引に姉君と弟君主神にすげ替えで消えたところもかなりありそうですが。
全国の神社はトップが稲荷(現世利益なら民間企業だからフットワーク軽く最高※有料)・八幡社(武家が武勲信仰)・それ以外が…過半数強引に明治政府にすげ替え食らってアドの深夜拙者に追いやられてかろうじて保ったか抹消されたかで本来は天神祀こそ摂社か祀ってなかったところが多数。
それら歴史の流れであまりにも神社が少ないうえ拠点にすら見当たらない。娘の逸話や縁の地は山ほどあるというのにw(後年後付けや盛られた物含む)
まあ政略結婚とはいえ特に敵対氏族でもない大手豪族の旦那の邸宅をわざわざ遠くに作る意味もないだろうし、必然的に阿多の宮もその周辺どこかだった可能性は高いと。ただ当時の人々健脚なので「近く」の認識がかなり広い。
のちに笠狭宮と称された一帯の宮ノ山遺跡あたりがたぶん元々宮を造っていたからと思われ。どこにせよ神話前後がローカル阿多群内のどこかなので当然その範囲に祀っていた総本社と姫様(初代)の墳墓もあるはず。年代的に確実に地下式横穴墓だから秘されたまま永眠されてるはずですが。元々判りにくいし同じ様式多数だから開発で知られないまま消えた不安も拭えない。元々神道じゃない古代信仰だから命尽きたら神に還る、野の神を奉ずる巫女ならそれも本望で人知れず墓ごと土に還っていても気にしてはいなさそう。
実質血族は残り皇孫としての系譜にも繋がり長きに渡り命脈は保たれたわけで。なお一族の後年の通称が「薩摩隼人」いわゆる薩摩のぼっけもんに色濃く残されたわけで…末代までなんか強い。
なお阿多の隼人でも部族内で特に主神が統一されていたわけではなく、神話成立以前からの海の神、山の神、野の神、月の神が代表格で氏族によって祖霊として崇めていた感じで。民族としての出自が南方系・そこからの混血説もありますがまあそうなると遠洋航海得意・地元寄りは大地系で夜間の天測と星込みで残された伝承的に月の神が人口比では主流だった感じに。ほかの神も普通に等しく敬ってはいて特定の神が氏族で推しだったという感じですが。
一応朝廷神話発祥(箔付け込み)がこのあたりから瓊々杵尊以降文字で多数記録され始めるわけで…ツクヨミ影薄いのはこれ…盛大に反乱起こした大隅隼人のほうが付きの神メインだったせいで冷遇されて他国の神話のように太陽と月ペアに設定されなかったのでは? その後残党は一応朝廷内で役職もらって呪的祭祀担当には加わってるし。戦も呪術も優秀だったから根切りやらかしたら徹底抗戦大惨事だし使える人材多数で代表者は散ったから残党は厚遇して取り込んで後に続いたという感じで。そして信仰で結託されないよう祭神は神話で冷遇された( 本当に何してるのこの神…?という感じに出番すら少ないし何かしたという記述がほぼない。
調べても「草野姫社総本社は現存しない」と再確認できただけでした。切ない…
初代様の縁の地は阿多で間違いないので聖地巡礼ならまあだいたい娘姉妹祀っているところは関係していたところも多い氏史跡扱いも関係あった場所は相応にあるはずで。
まあ初代以前に本来祀られていた「野椎神」としての自然新形態なら「大八洲に広がる野の草原すべてが偏在する神を構成している群体であり神域」なわけで、古来寄りの村はずれで目印の磐座祈っていても特に総本社と代らないわけで。神話成立以降の神とは違い本当に偏在するから「神社」の概念も不要だったというか。
だから神として祈るだけなら全国各地にかろうじて残るその御名で祀られている神社でもほぼ同じ。人格神として現地がメインでほか分霊でなく、縄文古代神は概ね自然そのもののネットワーク式にクラウドしてるので。大地や空へ祈るのにわざわざ特定の場所が必要か?という。磐座も例脈状で神の息吹の生命力が感じられる聖域だからと集団デイのポイントにしていただけで、信仰としてなら感じられる場所ならそれこそ庭の一角だろうが自然のなかだろうが等しく神と接しているので。
巫女の二代目様は…たぶんそちらの本社も何らかの事情で絶えてる。
そもそもがまず初代親戚筋か血族だろうし、神話編纂でごたごたしてるときにスルーして黙々と本来の野椎神の姫巫女としての祭祀で。
神話に残ってないのはまあ別扱いでなく本来の祭神を祀る担当の継承者ということで同一視扱いかと。…既にその時代当然初代没後で総本社が朝廷の圧力で変更か娘のほう姉妹祭祀に変更されていたり、相殿扱いで追いやられたり…なにせ神話スタートラインの地でアピールしていた時期なので色々町興し権威付け的に。
立場的に追いやられはしないも、他に穀物専門神が禁忌方面の朝廷から追加されたり()旦那の総本社までウカ様祀ってる、既に専門で祭祀される権能の時代が過ぎつつあるとまあ後の代では立場も弱く…直系かは今となっては判らないも隼人の移民に同行して移っていった草の民の阿多隼人集団もいたわけで。
隼人内で他の氏族の神も祀っているので隼人移住の地には祀られているも、京都奈良は大隅隼人(朝廷にスカウトされた専門職集団中心)。当時関西はまだ入り江と沼地で奈良湖が残っていた頃でそちらは後世の建立や勧請。
四国は婚姻の時に姫様初代祀ったもの数カ所と、元々の原初野椎神系らしき野神の祠も多数。京都奈良より東の近畿から和歌山が阿多隼人でも草の民がある程度固まって移住、二代目がこのあたりで「野椎神」名義が多い。中部に掛けて以北は原始・初代・二代目・特にイメージ区別せず漠然混在と後の勧請が多め。
だいたい山草木三柱セットは勧請。相殿や末社に追いやられているのが天神系に聖域ごと取られたか他所で社の土地とられて移転居候。姫様主祭神で相殿や合祀は最初隼人系が祀った割合高め。野椎神名義かつ単独や天神相殿してない小規模はローカルと合一か元々の原始野の神信仰からの合祀。
祭祀インターフェースで分類すると、草の群体巨大草サンドワーム的な古代縄文からの自然神そのままの「野椎神」。阿多の初代姫様と巫女合体神話のイメージが「鹿屋野比売神」。そのイメージ抜きで原初の権能かつ荒魂寄りの権能・一部で二代目相当の巫女の童女イメージ含むのが「草野姫」。厳密に別けられず漠然とそれらが混じって法則や分類できないも傾向としてはそんな感じ。
明らかに朝廷神話で存在抹消された太古のヤバい自然神としての扱い(別名と挙げるだけに留めた)、実在巫女と神話成立期のエピソード・人物像で擬人化した里に寄り添い助ける身近な姿の初代、本来の自然を司る権能と人の世と自然の狭間的な立ち位置で崇められる中間形態が便宜的な二代目。
残る神社でも明らかに求められる祈りと期待される権能・扱いが2パターンに大別される。
前者代表が萱津神社で明らかに建立以前訪れた初代巫女本人がモチーフ、明るく朗らかで里の人々の笑顔と豊かな作物の営みを楽しみにしている雰囲気の美女。女神様と讃えられ広く信仰を集めるのも概ねこちら。
対して農作物への加護は控えめ、本来のススキ・茅萱など穂のある役に立つ植物への加護を主とし、里の中にはあまり関わらず物静かでそれでいて祈りには応えてくれ茶目っ気もある童女の巫女が二代目。次代というより先祖返りした初心に返った姿とも。
元より神に還って合一化しているから同じ存在と言えるし敢えて別けるのは信仰者がアヴァターラ的な化身インターフェースとして信託や対話の顕現の姿で求める違いで…そもそもその信仰人口が現在では少なく漠然としたイメージに。
苦草原はどこにでも広がり今までもこれからもそこに在るので、祈るならばただ草の神様、というだけで漠然でも支障なく感謝は届くはず。
これが特定の山や川の神だとまあそこがご当地だから出向く必要あるわけですが、縄文期からの古い神は漠然とした総体だから逆に人間の信仰途絶えても関係ないし神社が途絶えても何かで知ったり存在思い出した信者がいれば信仰として復活は可能(というか人間関係なく普通に存在しっぱなし)という。
神話としての初代様個人への信仰で回ろうとすると…本当に何故という域で縁や連想する名を冠する神社がご当地に皆無。相殿神や末社にも確認できる範囲にない。これが宮家に繋がる姫の扱いかという…
これご本人巫としての役目とまとめ役のアイドル担当が本分と達観していて戦や政ぶん投げて興味なく政治的に動いてなかったし率先して関わってなかったから…? 本来の領分での加護を広め余生は旦那共々娘かわいいしてたのは何となく解る。そりゃ後年の人格神としての扱いもおおらか朗らか陽キャほどはいかなくてもノリの良さで…
濃い面子多い記紀の神々の中でも影薄い島ともなのに信仰広がらなかったのはやはり需要の問題で信仰薄れたからというのが最大要因かと。茅葺き屋根や民具があまり重要視されなくなったらまあ…農地や林業への行き来の野原ススキまみれになってるから勘弁してとたぶん自重奏上されてたろうし。
ともあれ現在は五穀豊穣が他の女神に別けられたため信仰は細々というか…存在を知って好ましく思えたなら感謝を捧げると少し喜んでくれるかもしれない。
信仰が薄れると存在そのものが消えゆくのは人口の自然神や人由来の神々で、元より太古から存在する自然そのものすべての存在の根源の神・そこから分たれた原初の自然界を象徴する神々・さらに派生した自然の現象を崇めた神…までは人間がいようがいまいが自然はそこに在るし人がいなくなっても消えることはない。
ただ人格神としての人の姿は信仰する人によるもので、漠然でも言語や形態は時代に合わせてもらえない理解困難な場合すらあるので信仰と鋳物は多いほど確かに人に近しい感性で相互理解でき身近ではあると。
つまり信仰集まればその姿で夢枕や幻視などで顕現しやすくなる。その理屈だと東方とかFGOで酷いことになってる神々もいそうですが。
ともあれここはチラシの裏駄文置き場なので。何がいいたいかと言いますと、おそらく便宜上だから「二代目」という概念は学術的にはないも、一部地域では残っている原初に近い権能の童女巫女モードとしての姿でも信仰するのも自由なのでは!? 華々しい里の女神でなく神秘担当座敷童子モードというか。
そして脱線話。
なおサクナヒメがめっさ神っぽいというか朝廷神話なぞDQNまみれだし大人げないし弟君の素行はそりゃ姉君完全武装で出迎えたり引きこもりたくもなる。むしろあのアニメ神より同行した人間のほうの民度やムーブが…人間は愚かなものです、と暗喩してるならまあ。
ともあれあれでオラつくと弟君ですが日本神話の女神でそこまでイキってる方は…いなかったはず? 一番陽キャがウズメ様ですが怒ると怖いも陰湿じゃなくむしろサバサバ系オタクに理解のあるギャルというか誠実な相手には真摯に応えてくれるカリスマアイドル?
あとうたわれアニメのせいで日前宮の八咫鏡プロト双子女神様のイメージがあの双子になってしまった。どうしてくれるの( 神造神器の神だし概ねイメージは合ってそうというか…
咲夜姫は一般がイメージする和風美少女だし、磐長姫はダラさんヒロイン的な…そこまで言われる程ではないも美人過ぎる妹でコンプレックスと見比べられ周りの扱いに病んでしまったというか。やるせなさに鏡をぶん投げてたくらいで当時モラルとしては荒れたり祟りもせず引きこもってたくらいで人間的にはまともで落ち度なかったのでは。古事記のほうでは呪ってなどいないしヒールにされてより酷い。というかモチーフの世代の出来事だから人の子の寿命なぞ関係ないわという。
だいたい顔で判断するのが悪い。引きこもるという発想でてる時点で内政とか文化方面向き気質。皇祖の姉君もですが全部投げ出したくなる状況でもキレて当たり散らしたり血みどろも辞さずの方向行かないだけ理性と自制心がある。
なお妹のほうもマウントとったり増長せず普通に才女っぽく問題描写なし。外見で一卵性ではないので数歳は差があったかと。まさか当時準拠で年増だから醜女扱いなんてことは…荒れるわそれ。
…三女知流姫どこいったという感じに空気ですが。書紀のほうではいなかったことにされてるし。一説には磐長姫と同一人物ですが…姉で散る・妹で咲くは普通その順にしないのでたぶん三女は別に。系譜だと大山旦那の孫の櫛名田姫とスサノオとの子供と婚姻してるので…従姉妹くらいなうえ時空歪んでますがまあ当時は早婚などよくあるからギリ成立はする? たぶん干支一回りとか最初から年齢差があった三女だったと。
四女で神大市と手名椎・足名椎に霧の神×8柱もカウントされてますが母親たぶん違う。人数多すぎだし当時は一夫多妻普通だったし後の世代の日本武尊ですら出張先現地妻造ってたし…。
ラノベ的な特に元ネタと意味のないビジュアル化でなく綿密に調べたうえでのイメージで容姿やキャラ付けすると奏上するときの姿も無礼でなく順当に今風で最上と思える状態で想像できるかと。
・平成中期以前はネットなぞ録に役に立たず、足で回れる範囲にそのフィールドワークも分厚い神社名鑑と郷土史調べ当地泊まり込み聞き取り数日がかりをコツコツという時代で今と比べて環境が不便すぎた。今は概略程度や誤情報が蔓延して一次資料すら碌に確認しない学者が現れる時代ですが…
今見ると…これは酷いで触り部分だけに留め上に追記。初期につき矛盾や考証未熟部分含む。
人文の民俗学でも神話・妖怪方面なんて研究室でもまあ異端でそもそも考古学ではないし文化としてのものと神話学としての観点だから…と雑に地理情勢や当時の人物相関やら抜いてあくまで神話として扱ったらその朝廷神話自体が歪められた情報を権力事情で編纂してるんだから当然矛盾と理解不能な混沌となるのは当然。
そして歴史としての観点から実在人物の伝承を反映再構築すると逆に、これは「神話」ではない…というただの権力者が神名乗って箔付けしてただけ時代のまとめになってしまう。
本当に「神道以前の信仰形態と変遷」「大和朝廷の国家神道系譜」「神と同一視した成立直前期の実在人物の動向と人間関係」は別物で考えないともう矛盾まみれで研究すればするほど矛盾が湧く。
バランス取ろうにもどこに寄せても「ただの歴史書」「歴史無視したある意味神話(フィクション)」「ただの怪文書」のどれかになってしまうわけで…。過去の国内神学者は「国家神道の正当性を証明するための研究」が多くそれ前提だから現在ではあまり役に立たない。皇孫の系譜ありきになるし否定が許されなかったので。
かといって現代の情報簡単に集まる時代だと逆に翻弄されて…何言ってんだこいつという感想しか出ない地位はある学者が多数。上記理由で専門ではないのに自分の領分と勘違いするから変な学説になってしまうというか。
同じ資料から研究しても「歴史として分類学者」「職業神職の権威と願望」「学問としての神道学者」「ガチ信仰の拝で神呪霊術呪術関係者(詐欺やカルトではない本物のほう)」が同じ結論になるはずもなく、そもそも向いている方向も必要としている情報や観点自体が違う。
そして理解できない別方面にお気持ち表明していても結局ほかから見たらそちらの持論が意味不明で混沌と化す。個人の感想で廃れ流して読者が判断するしかないというか。各方面が納得する状態でまとめるのは無理。
歴史学者は神や霊など概念上でいないものとして扱うから、そもそもそれは神道の研究ではなく「記紀に記述された神話と名乗る記録」の研究でその裏での歴史や人物の動きを探るのが主体。
神道学者や神学者は「自分の学説が正しいと証明したい」がまず先に。全分野で言えますが。神社ひいては神道の権威を持ち上げるために歴史の裏付けや遺構聖跡を発見と正当性ありきで…身も蓋もない話「本音では神自体はどうでもいい・文化として敬ってはいるが実際はいないと思っている」人が多数派。
霊的な方面では縄文からの変遷と信仰としての流れが必要なわけで、後付けの神話や歴史なぞ二の次でルーツや縁の場所に正統な祭祀場所や作法に必要な要素の概念が判ればそれでいい。とにかく正確に来歴や流れを認識して信じる神としての繋がりとパワーソースとしての加護を求めているという。学問の分類や矛盾など鼻で笑って無視。
どこも仲良くできるはずもなく二足のわらじが書くと本当に怪文書か電波にしかならない…。だから民俗学者が「学者」としての方向から叩かれ不遇なわけで。
今は物臭にネットで調べるも、それまでは一にも二にもフィールドワーク、消えゆく民話や古老の話をとにかく記録に残し聞き取り調査と開発で消える遺構を写真に残して分類保存といういわば語り部最後の世代。
今はもうラノベや漫画見て憧れて妖怪研究したいとか怪しげな風習にwktkな学生ばかりでもう…昔は長期休みなぞ確実に全部消費されるし毎週末強制でバンに詰められフィールド送りで何もない山奥の高齢者集落巡り、文字起こしと記録(手書き)で時間は潰れるという過酷な労働で今の世代絶えられない。取材先も既に伝えられないまま語り部世代大半が亡くなってる。
もうなんというか今の民俗学てただのフォークロア研究会になれ果てて、柳田翁のとにかく蒐集の時代は既に終わってしまった。